知的財産推進計画2004 総論に関して
総論に、「知的財産立国」の実現に向けて、とあります。
コンテンツの保護、といえば聞こえがいいのですが、私は現在の知的財産立国の考え方に危惧を抱いています。
まず、知的財産立国を謳う甘利明議員の考えによると、「たとえ高くても日本のモノを使うしか方法がない『オンリーワン政策』の構築」を目指すとあります。
以下に、その考えが読める甘利議員のサイトのアドレスを引用します。
http://www.amari-akira.com/policy/wish.html
しかし、そうした「独占」を背景にした施策で、健全で競争力がある産業構造、市場が育つでしょうか。
たとえ高くても日本のモノを使うしか方法がない、という方針のもと、昨年6月、著作権法の改正が行われました。
知的財産推進計画2004総論4.(3)推進計画の成果に、「権利者へ利益が還元されるための基盤を整備する観点から、音楽レコードの還流防止措置及び書籍・雑誌の貸与権の付与等を内容とする『著作権法の一部を改正する法律案』が、それぞれ今国会に提出された」とあります。
音楽レコードの還流防止措置に関しては、「たとえ高くても(日本人は)日本のモノを使うしか方法がない」という法改正です。
日本人に、欧米の水準よりも5割〜10割以上高価な日本のCDを購入させる「権利」を、企業が獲得したのです。
現在、欧米の企業はその権利を行使していませんが、法的にはいつその権利を行使しても問題はありません。
また、書籍・雑誌の貸与権の付与については、法が施行されたにも関わらず、未だに著作権料徴収の体制が整っていません。
しかも法的には、図書館にも適用される可能性があります。
図書館法第28条に基づき利用者から入館料や貸出料を徴収している私立図書館の業務に支障をきたす恐れが生じています。
つい先日、「知財立社」を謳う松下がジャストシステムを訴えました。
松下が勝訴し、ジャストシステムは控訴しました。
控訴しなければ、ジャストシステムが販売しているソフト「一太郎」は市場から消えるということでした。
裁判で問題になったのは、普段パソコンに接している者ならば一太郎ユーザーに限らず、普段から目にするようなありふれた表示でした。
松下は、その表示で被害を被ったからではなく「知財立社」の考え方のもとで訴訟を起こしたとコメントしています。
特許のあり方について、非常に考えさせられる事例です。
松下勝訴の根拠になったような論理が現実社会で確定してしまうと、ソフトウェア産業の将来は暗いと考えます。
欧州でも特許に関して論争が起きています。
欧州で提案されているソフトウェア特許が承認されれば、米国と欧州でソフトウェア特許侵害訴訟が次々と起こる可能性があるということです。
結果、特許申請を多く行っている企業によって、自由なソフトウェア産業の発展が損なわれるようになります。
こういった事例が、知的財産立国の目指すものであると言うなら、即刻、知的財産推進計画2004は中止すべきです。
知的財産の「独占販売」を推進することが社会の発展につながるという考えは、全く非現実的です。
逆に、そうした行動がいかに社会の活力を奪い、閉塞させるかを考える必要があると思います。
「3.(4)競争政策の重要性と表現の自由などの重視」の項目に、独占禁止法についての記載が見られますが、日本でもコンテンツに対して独占禁止法を適用すべき時期が来ていると考えています。
独占禁止法21条の、適用除外項目から著作権を除外する必要があるのではないでしょうか。
現在、世界中で販売されているコピーコントロールディスクは著作権保護を謳ってはいますが、実は音楽CDの規格を無視した不良品であり、再生の不具合があるにもかかわらず、複製権の独占の為に音楽ファンは不良品と知りながら買わざるを得ない状況にあり、結果、音楽CDの市場の縮小につながっています。
著作権や特許の一方的な強化は、害悪にしかなりません。
適切で現実的な著作権保護と同時に、独占の排除が必要だと考えます。
また、著作権の保護と同時に、コンテンツの利用を推進するための施策が必要だとも考えています。
例えばアップル社が運営しているiTunes Music Storeは、現在、日本では運用されていません。
これは日本での著作権保護が厳しく、利用者の自由度が制限されているからです。
著作権保護によって産業の発展が阻害されている典型例です。
現在の日本の著作権法には規定されていないフェアユースの考え方を導入すべき時が来ていると思います。
「2.『知的財産立国』実現に向けた取組方針」の中で、「『知的財産立国』を実現していく上で、我が国にはもはや一刻の猶予も残されていない。」とありますが、むしろ今は拙速に至らないよう、慎重に検討を進めるべきだと考えています。
特定の権利者の利益に偏ることなく、広く社会全体の長期的な発展を視野に入れた討議が必要だからです。
2004年6月の時のような拙速で禍根を残す施策に至らないように、と希望しています。