コピーについて思うこと(1)
( Have you ever copied music? )
音楽ソースのコピーについては、いろんな考えの人がいるでしょう。
我ながら難しいことを書こうと思ってしまったものです。
しかしCCCDの問題を考えるうち、何らかの自分なりの立場は表記しておきたいと思いました。
しかし、どうにもまとまらない文章になってしまいました(汗
それでもいいたいことは書けた気がするので。
コピーについてというより、それも含めた現在の状況について僕なりの考えを書いています。
複製権について述べた第2版はこちら。
P2P Kills the VideoStar?
この文章は、ここで公開する目的で作っていたものを再構成し
音楽配信メモ -xtc.bz-に投稿したものです。
その頃、サイトはまだ建っていませんでした。10000字の長文ですがご容赦下さい。
<僕らはコピーとの付き合いかたをよく知っている>
どこから手を付けようか。。。
自分のことから手を付けるしかないですね。
経済的な余裕がない若い頃、具体的には10代から20代初めです。
僕はコピーの恩恵を多少なりとも受けました。
まず家族や友人の所有物からのコピーです。
カセットテープによるコピーは既に日常で、自分や身内が楽しむ範囲では問題はないという感覚です。
厳密には、問題あり、とされるかも。
それとエアチェック。FMラジオの音楽放送を録音したものです。貴重な音源でした。
あとは、所謂レンタルショップ。
最初のレンタルショップが建った頃、僕は10代でした。
けっこう騒ぎになりました。
音楽協会の言い分にも一理あると考えていました。
業界間の協議の末(?)現在はそのレンタルショップも日本人の日常に定着しました。
しかし、当時はレンタルというのに一抹の罪悪感を感じてもいたわけです。
(そのせいかどうか分かりませんが、僕は音楽に関してはほとんどレンタルショップを利用しません)
(昔から借りたいものがめったにない、というのも大きいのですが)
ですから、僕のコピー音源の多くはエアチェックテープでした。
考えてみたら、どっちもコピーでどう違うのかというものなのですが。
というか、無料だからこっちのほうが質悪いはず?
雑誌には、著作権の話や自分で楽しむ分には許されているとか、併記されてました。
僕にとって当時のエアチェック音源はけっこう貴重なもので、今でも保管しています。
リリース自体されていない音源もある程度ありますし、一種の思い出でもあります。
さすがに今となっては「こんなの聴いてたのか自分は、、、」と思うものも多いです。
しかし、当時から変わらない好みもあるものです。
そういったものの中には、後になってCDなどで入手したものが数多くあります。
やはり好きな音楽家の音源は、ちゃんとした形で持っていたいと思います。
それが音楽家への手向けになると考えています。
エアチェック録音しながら、じきに消してしまったソースも数多くあります。
いや、むしろそのほうが余程多いでしょう。
もう、何があったかなんて覚えていません。
現在、世界中で流通しているコピーの多くはそういった運命をたどるでしょう。
僕などは、それがコピーというものじゃないの?などと思ってしまいます。
それを指して音楽業界は「不利益を被っている」というのですが、、
どこに不利益が生じているんだ?と思います。
コピーは本来購入されたはずのものだという理屈なんでしょうが、、
コピーは基本的には大事にされません。消されていきます。
大事にしたいものなら、いずれは買うものです。
買えないとしたら、金がない、流通していない、などの理由でしょうか。
買わないのは、基本的にそれに買うだけの魅力がないからです。
そういうのが一般的な音楽ファンの有り様だと思います。
魅力があるかどうか分からないパッケージを気軽に購入できる人は少数派です。
魅力の有無を確認し購入を決められるコピーは、ある程度認められるべきだと思います。
よく分からないまま買ってつまらなくて落胆したことは、昔はよくありましたっけ。
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<ショービズ帝国の興亡>
大事な音楽であってもコピーで済ませればいいという人は、音楽家のことを忘れています。
音楽家はそれで飯を食ってるんですから。
(あるいは所属プロダクションやCD工場の人の生活を忘れています)
(まぁ、このあたりは意識しない人がほとんどです。僕もそうですし)
そういう人に音楽家を忘れさせたのは、ひとつは音楽産業の有り様そのものだと考えています。
これは構造的な部分が大きく、誰が悪いとかではないのですが、、
産業ロック、という言葉があります。今や、死語になったようで聞かなくなりました。
60年代、オーディオやモニター技術の進歩によって音楽は金を稼げるものになりました。
70年代になってその傾向は強まりました。
主張がない売るためだけのプロダクション主導のロックを、ロックファンは産業ロックと揶揄しました。
そんな中からパンクが支持を得て、その潮流はインディーズレーベルに引き継がれます。
80年代、ロックはインディーを志向しました。
その一方で、MTVに乗ってミリオンセラーのスターがたくさん生まれました。
マイケル、スプリングスティーン、U2、マドンナ、プリンス、、。
疲弊した者もいれば、波を乗り切った者も、音楽産業と戦った者もいます。
90年代、ロックは往年の集金力を失い、ヒップホップなどにポップの主流の座を譲りました。
オルタナティブがロックの新しい立ち位置となりました。
00年代、ポップミュージックは主軸を失い疲弊している気がします。
その一方で、インディー周辺のエネルギーは未だに渦を巻いています。
そこではロックもテクノもヒップホップもジャズもポップスも何でもありです。
この10年程の間、消費の速度が速くなった、といわれるようになりました。
新しいフォーマットのポップが生まれても、たちまち消費され古びてしまう。
もはや、新しいものは何もない。といわれます。
ポップミュージックは業界主導の食傷気味のポップスとマニアックなポップとに分化しました。
音楽産業というのは、そもそも安定した産業なのでしょうか。
60年代以降、音楽産業は大きく発展しました。
それを支えていたのは、音楽自体のエネルギーでした。
あらゆるものを取り込み表現の幅を広げていくポップミュージック。
その推進力で音楽産業は発展した、と思います。
僕は、高度成長時代は終わったのだと思います。
大量生産大量消費の安定した時代は、同じ顔をした聴衆がいたから出来たことです。
いや、音楽産業にとってそう見えた、というべきでしょうか。
60〜80年代にかけては、音楽産業は音楽家と音楽ファンを結ぶ重要なパイプでした。
しかし、もうこの構造は崩れかけています。
ひとつは、ポップミュージックの高度成長が終わったことで。
もうひとつは、世界的な情報ネットワークが成立したことで。
大手音楽産業は、選択肢の一つに過ぎなくなりました。
音楽ファンは、既存の音楽産業の提供するソースの多くに飽き飽きしています。
求める音楽は、アンダーグラウンドだったり、個性的だったり、あるいはより正統な「音楽」、
そういった、マニアックなエリアにあります。
業界の影が貼り付いたフェイクは、もういらないのです。
(例えば、宇多田ヒカルの音楽って実は個性的でマニアックです。偶々大手から出ましたけど)
アイドルによるポップスも嘗ての輝きを放ちません。
(アイドルはアイドル自体が商品なのでちょっと例外的に見えます。
しかし、曾てはアイドルが庶民の音楽家だった時代もあったわけで)
既存の音楽産業の枠とは違う場所に、聴衆は行ってしまっているのです。
魅力のない音楽は、コピーされるだけで消えていきます。
コピーができないならば、多分コピーすらされずに消えていくだけです。
大手音楽産業が売り上げを落とす中、インディーは逆に売り上げを伸ばしているのですから。
インディーのポップミュージックには、メジャーの音楽産業にはない良さがあります。
インディーの基本は、好きなことを自分達でやる、というDIYの精神です。
小規模で不安定ですが制約がない分、音楽家は音楽性の赴くまま自由に創作できます。
音楽ファンとの距離も近い。
音楽ファンは、音楽のダイナミズムを肌で感じ取ることが出来ます。
かつてはインディーの障壁だった流通の困難さも、現在は解消されました。
ネットワークがそれを支えています。
音楽産業は、ポップミュージックの推進力を基盤に発展してきた、と書きました。
60年代以降、ポップミュージックと音楽産業は、軋轢を抱えながら支えあってきました。
音楽家にとって音楽産業は活動の制約であり、同時に活動の場だったのですから。
既存の音楽産業には、もう新しい流れの受け皿になる力はありません。
言い方を変えれば、、
CCCD導入は、音楽業界がユーザーのニーズに応えられなくなった証明だと僕は受け止めています。
あるいは、多様化したユーザーのニーズに対応することが大手音楽産業にはできなくなった。
根本的な考え方から、インディーとは音楽を扱う哲学が違っているのですから。
金の卵を産むガチョウを育て、メディアを利用し大量に売って多くの利益を得る、
という既存のやり方に、もう限界が来ています。
時代遅れの宣伝さえしておけば、ガチョウが育つと思っているように見えます。
その限界を、コピーに責任転嫁しているように僕には見えます。
アメリカのバンド、ウィルコはアルバムの発売を会社から断られました。
彼等は、アルバムをネットで公開しました。
その後、他の会社からリリースされたそのアルバムはベストセラーになりました。
彼等はいいました。
「音楽ファンは音楽が大好きで、聴きたいからダウンロードするだけなんだ」
コピーがネット上にあることに、何の問題があるんでしょうか。
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<VideoStarの氾濫にはみんな飽き飽きしている>
大量に売りさばかれ消費される音楽を大量に流通させたのは音楽業界です。
そして、そういう音楽に依存してきたのも音楽業界な訳ですが、、
音楽ファンは、大量生産品を聴いて育ち、多くは消費するものとしてしか音楽を考えない(のか?)
だから、スター不在といわれます。消費されるタレントはいても。
そういった中で飽き足らない音楽ファンは、大量生産品でないものを求める(のか?)
マイナーアーティストファンってとこでしょうか。
ポップミュージックの新しいフォーマットも生まれない今、大量生産品には意味がない。
既存のフォーマットだろうが何だろうが構わない。
音楽家の表現のエネルギーが込められたものを音楽ファンは求めています。多分。
付け焼き刃のメッキのかかったポップスターではない音楽家の手による良質な音楽です。
そして、それらは規模は小さくても売れていくはずです。
幾許かのコピーを周辺に伴いながらも。
大量生産品が普通だと思っているファンは、音楽を消費することに何の抵抗もないでしょう。
音楽業界はそういうファンを大量に生むことを繰り返してきている気がします。
特に、MTVの時代から。まぁ、確かにその方が儲かったんでしょう。
そういうファンは多分、コピーで済ませることにさほどの抵抗はない。
手に入れて消費することが楽しいわけで、音楽を慈しむという感覚とはほど遠いから。
それは、音楽業界の姿勢が反映されたものだと思います。
そういった中で、音楽ファンも成長する、こともある、のかな?
飽き飽きする人の方が、多いんじゃないかな。
それにしても業界は音楽をなんだと思ってるのだろう。使い捨ての玩具かなにか、、?
本来水物である音楽産業が安定した収益を得ようとするところも、意地汚いと思います。
音楽なんて、売れないときは売れないものです。
世界的に物が売れない時代にどうして音楽が売れますか。
昔は、音楽は恵まれた一部の音楽ファンのものでした。
今は、そうではありません。音楽は、万人の消費材になりました。
音楽はファッションであり、CMと同じようなものになりました。
タレントのCMです。
CMに金を払うバカはいません。
考えてみたら、ミュージッククリップって昔はプロモーションビデオといわれてましたっけ。
ファミレスでミュージッククリップを100円で見れるサービスがあります。
なんで宣伝に金を払わないといけないんだ、と思ってましたが、そういう感じなんですね。
CMを作品だ著作権だといったって買う気は起きないよ、という感じ。
そういう気持ちは、最近の音楽にもあてはまることが多い気がします。
音楽業界が不利益を受ける程コピーが多く利用されているというのなら、
結局、消費者は現在流通している音楽を、音楽だと思っていないのです。
プロモーションビデオみたいなもんだと思っているんだというのが、僕の考えです。
音楽産業と音楽の関係に付いて、今まではさほど真剣には考えたことがありませんでした。
しかしCCCDの問題で、考えざるを得なくなりました。
音楽家は日々こんな感じと戦ってるのかなぁ。
それでインディーでやっていく音楽家が少なくないのか、と思ったり。
大手音楽業界からリリースされる作品でもいいものはあるのですけどね、、。
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<好き好んでコピーしてる奴なんていないでしょ?>
僕は「コピー自体」については防止しようとすべきではないという考えです。
だいたい、防止しようとしたって出来ちゃうんですから。
多少なりとも防止しようとするなら、フォーマット自体をコピーしにくいものにすべきです。
かつてのアナログのように。CCCDはそもそも規格外なので話になりません。
あるいは、パソコンのOSレベルにフォーマットのコピー防止機能を組み込む。
今まで問題になっていて組み込まれてないということは、出来ないのかな?
しかし、それでもコピーは作られます。完全な防止は無理な話です。
そうやって防止しようとして、、それにどれほどの意味があるのか。
本来、問題はむしろコピーの扱い方です。
扱いに問題がある場合にペナルティが課せられるべきです。
と、思うのですが、、、
こういう言い方は現実と乖離しているのかな?
音楽ファンにとってコピーと原盤は等価ではありません。
原盤を買うのは、音楽や音楽家とのつながりを買う行為です。
あんたの音楽いいよ、また作ってくれよ、という気持ちを伝え助けるために買う。
あるいは、音楽や音楽家を身近に感じていたいから買うわけです。ただ音楽が好きだから買うんです。
そういう気持ちはコピーでは埋まりません。
やむを得ずコピーで済ませている場合でも、買えたらいいのにという気持ちを持っているものです。
最近は、そうじゃないのだろうか。
音質上は、昔よりも精度の高い複製が可能になりましたが。
ユーザーの良識とコピーの問題は、ずっと曖昧なままで今まで来ました。
曖昧にするしかない部分が常に存在するため、危ういバランスでやってきたと思います。
デジタル技術の進歩で時代が変わったといえばそうなのでしょうが、ファンと音楽家の関係なんて大して変わってはいません。
このあたりの扱いは微妙です。なぜって法律がありますから。
買えないなら聴く権利はない、と言うことは簡単です。
しかし現実問題としてコピーは昔から日常の中で使用されてきています。
そして、現実に複製不能にする手段はありません。
(その回答がCCCDだなんて言わないで下さいね)
今までは、コピーの扱いはユーザーの良心に託されていた部分が相当あります。
また、物理的に良質なコピーをとること自体が難しかった。
現在は簡単になり、タガがひとつ外れました。
もうひとつのタガについては、、、
買う価値があるかどうかコピーで確かめる、欲しいものは買う。
あるいは、買えない時にコピーで一時しのぐ。というのが、一般的なユーザーだと思います。
音楽が溢れている現在、バランス感覚がある行動だと僕は思います。
買いたいだけ買えるユーザーは少数です。
音楽産業はそんなユーザーだけ相手にしていればいいのでしょうか。
そうだ、だからCCCDで出すのだ、というなら、
CCCDが他ならぬ良心的なユーザー、買っているユーザーを誰よりも怒らせていることに気付くべきです。
(怒っている人は少ないなんていわないで下さい。実態知ったら音楽ファンでなくても怒るでしょう)
インディーズが売れている、と書きました。
日本のインディーの場合、メインユーザーは若年層です。
金のない世代で、コピーの主力ユーザーです(多分)。
コピーのせいで売り上げが落ちるということ自体が詭弁ではないのか。
テープレコーダーの普及以降、コピーは日常的に使われるようになりました。
現在は、原盤所有者の個人的な使用は黙認されています。
僕個人の10〜20代の頃の日常と、現在の音楽ファンの日常がそう変わらないとして、、
自分で楽しむ以外には、
コピーは情報伝達のメディアとして使われているはずです。
どんな音楽がいいのか、という選択のための情報の入手、交換です。
他には、入手できないソースを仲間内で共有する手段としても使われると思います。
これは、昔からカセットテープで行われていたことでしたが、
これって、、
著作権の問題があるといえばありますが、少なくとも誰も損はしない。
メーカーは「不利益を被っている」といいますが、
どっちにしても彼等は「買えない」のですから。金がなくて。
個人的には、それを著作権の問題をもって止めさせるということに「過剰」を感じます。
コピーを使いながら音楽ファンは育ってきたし、音楽家だって育ってきたはずです。
メーカーの偉い方々がどう思うか知りません。音楽コピーとのつきあい方なんて知らないのでしょう。
しかし我々の音楽文化の中に既にコピーは定着しています。
僕達の音楽文化は、コピーも含んだ上で成り立っていると思います。
聴きたいなら何があろうと購入すべきだ、というのが音楽業界の主張かもしれません。
現在の著作権法を100%厳密に守るならそうかもしれません。
テープレコーダーが生まれる前の時代に戻しますか、、。
そんな時代に戻すのがいいとは正直、思えないのですが。
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<音楽文化のファウンデーション化構想>
これからの音楽は業界主導では育ちません。
音楽ファンと音楽家によってしか、育ちようがなくなったと思います。
グレーゾーンのコピー(業界は黒だというでしょうが)を止めさせる意味があるのか?
僕には思い付かない。誰にメリットがあるのでしょうか。
今さら、業界主導のバブリーな時代にはどうしたって戻りません。
それに、コピーを完全に防止することは現実的に不可能です。
そもそも「規格外」を売ること自体、音楽文化の破壊です。
CDDAは正規の規格に沿ったものです。
だから安心してユーザーは購入できます。将来も聴き続ける事が出来ると考えるのです。
CCCDにそれはない。
法律上、著作権の保護は重要でしょう。
しかしイコールコピーの禁止は、音楽ファンと音楽家が育つ地盤を削るようなものです。
CCCDは著作権の保護=音楽業界の利益の保護≠音楽家の立場の保護、である現状を体現していると思います。
速やかに我々の目につくところから退場していただきたい。
P2P kills the VideoStar? というタイトルは、音楽業界の感じている危機感を表現しています。
実際のところ、P2PのせいではなくてVideoStar達は単純に飽きられたんだと思います。
他に楽しいものはいろいろあるし。
音楽業界側はそうは考えないのでしょうが。
僕は、P2Pを上手く使えばかつてのラジオの替わりにならないかと考えています。
かつてのラジオには、リスナーが参加するダイナミズムがありました。
プロモーションビデオの押し売りにない魅力があったと思います。
それをネット上で再現できないか?
サイト側の優秀なプレゼンテーターと共有者のリクエストからなる相互発信型の巨大なデータベース。
かつてのラジオよりもより個人のニーズに対応でき、かつアクシデントのように名曲に巡り会えるシステム。
ただ業界全体で取り組まないと、使えるものにならないかも知れませんが。
ハードウェアの整備も必要でしょうし。
現在よくあるただの会社の宣伝サイトじゃつまんないし役不足です。
VideoStarをただ消費するだけの、コピーでも気にしない人達が最大の顧客だったんだよ、
とCCCDメーカーがいうなら、そういう人達向けの製品/商売のやり方を考えたらいい。
ついでに音楽ファンが愛している音楽を扱うのは即刻止めて下さい。
全てのCDDAを巻き添えにしないで欲しいです。
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<海賊行為はネットゲーム なのか?>
原盤もコピーも変わらないならコピーで問題ない、という人もいるのかもしれません。
そこに一抹の罪悪感もないとしたら。
問題というより、、それは本当に音楽ファンの問題なのだろうか?
なんてったってネット上のmp3はタダだし。まるもうけです。
音楽にお金が払われなかったら音楽家が困る、という感覚は既にありません。
そういう人からは、お金を払う人がバカに見えるでしょう。
いや、むしろ最初から音楽家や音楽を認めていないのかな。もともと大して音楽に興味がない人達なのかも。
簡単にコピー圧縮されネットで拾え、CDーRに焼けるから、収集するのが楽しいからしてるだけなのかも。
僕から見ると、タダのものをどれだけ集められるかという一種のゲームのように見えます。
ハードディスクとかに入れておけば場所もとらないし。
個人的には、彼等の一部は周りを煽り過ぎる嫌いがあると感じています。
ゲームの参加者が多い方が正当性が高まるような気がするのでしょうか。
しかし、あたかも自分達が音楽ファンであるかのような態度はとらないで欲しいと思います。
ましてや、音楽ファンとして当然などとは言って欲しくない。
音楽ファンだというなら、ちょっと考え直して欲しい、といいたくなります。
別にCCCD音楽産業の肩を持つ気はありませんが。
案外、両者は似た者同士で、だからやり合ってるのかも、と最近思います。
音楽への愛情が欠如しており、近視的に自分の利益ばかり追求しているという点で。
・・・
と、思ってたんですがいろいろ考えるうちに、P2Pを擁護する音楽家の気持ちを考えるようになりました。
著作権は企業のもので、音楽を里子に取られている。
音楽を企業がどんな形で使おうが、音楽家には文句が言えないようになっています。
そしてアーティストには、法律で防御した音楽業界に対抗する力はないですから。
CCCDなんて出すような体質の音楽業界が相手では、息が詰まるだろうと思う。
ファイル共有は、音楽を著作権から解放する行為です。
音楽業界に対するせいいっぱいのレジスタンスを推進しているのでは?
閉塞した業界に対する音楽家の無力感が、そういう発言に繋がっていく一面もあるのでは?
___________
<とって着けたかのように結論>
ユーザーの良識が今でも生きているのかどうか、あるいはかつてあったのかどうか。
まぁ、どこまでが本来のユーザーなんだという話もありますが。
取りあえず、音楽家の立場を尊重したいと考えているユーザーということにしましょう。
減ってるのか?そんなものはない?
僕には断言は出来ません。しかしインディーの作品は売れています。
デフレで経済的に苦しい中でCD代を捻出しているファンもたくさんいます。
音楽産業はそういうファンにCCCDの問題を知らせないまま売ろうとしています。
再生は自己責任というのは、どういう意味なのでしょうか。
何も分かってない。
恐竜みたいに肥大して足下のユーザーが見えない音楽産業はここらでどうにかなるべきなのかも、
いや、どうにかして欲しい。その時代遅れな体質を。
と個人的には思います。
コピーなんて、
本来は「ファンだったらば買えよ」というだけで終わらせるべき話だと思います。
それでも売れないような音楽は、CMに過ぎないわけで。
そこには音楽家と音楽ファンのつながりはないんだから。
音楽業界は、音楽が売れないのはコピーで充分というユーザーが多いからだと主張します。
僕は逆に、業界にはコピーで済まされるような音楽家しかいないのかといいたくなります。
現代は情報社会で、CMは巷に溢れています。
昔だったら有効だった宣伝も、今では売り上げに結びつかない気がします。
そして企業のCMは信用ならないとみんなが思っている。
金のためならば何でもやるのが大企業だとも疑っている。
そして今回のCCCDの問題は、音楽業界もそうだと裏付けてしまいました。残念です。
コピーの悪質な利用については、悪質であれば司法の判断でいいと考えます。
音楽業界が、音楽家と音楽を楯に取って正面切って戦うべき相手ではないと僕は思います。
現実に則した法律が適切に運用されるような状況が整えば、むしろいいのですけど。
音楽に限らず、映画やゲームなども今後問題になっていくでしょう。
そういう意味での問題提起は、CCCDの唯一の功なのでしょうか。
ただし、問題について考えるのは「ユーザーが」ではない。
むしろ「音楽業界自身こそが」考え直すべきです。まずCCCD製造中止から始めてほしいと思います。
2003.02.17.