コピーについて思うこと(2)

( Have you ever copied music? )

音楽ソースのコピーについては、いろんな考えの人がいるでしょう。
しかしCCCDの問題を考えるうち、何らかの自分なりの立場は表記しておきたいと思いました。
というわけで書いたのがこちら。コピーについて思うこと(1)
違法コピーといわれるものと音楽業界の動きについて、僕なりの考えを書いています。

これは(2)です。18000字を超えました。初版と全く内容は違います。
コピーについて、というのは「複製について」ということ。複製権について。
結構、常識から逸脱してるかもと思います。法律は素人ということで勘弁を。
こんなもの書いて意味あるのかというツッコミも勘弁下さい。

2か所訂正が入りました。
伝聞の知識のまま、うっかりソース確認するのを忘れたままアップしてしまったことに気付きました。
後日、事実関係を確認後、再度訂正するつもりです。申し訳ありません。m(_ _;)m


Imagine there's no copies. It is hard to do.

when I was younger so much younger than today
I never needed anybody's help in any way

問題点の整理をしてみます。視点によって、問題は違ってきます。

1。
まず音楽業界にとってのコピー問題。
業界にとって、コピーは忌み嫌われた存在のようです。
RIAAもレコード協会も、購入したディスクのコピーを自分のカーステレオで聴くことは著作権の侵害に当たると考えているようです。
判例によって、(ちょっとこれは勘違い。訂正です。)法的には、個人的な範囲での使用は容認されていることになっていますが、レコード協会は「これも消費者に認められているわけではなく、業界が容認しているに過ぎない」という立場をとっており、よくわからない話になっています。
ともあれ業界は「商品のコピーは全て基本的に著作権侵害」という姿勢です。
とにかく「コピー」はして欲しくないわけです。
音楽を「複製」し販売、配布するのは、著作権法と契約に依って業界だけに認められた権利、というわけです。
彼等にとってコピー問題は長年の懸案です。

2。
次にユーザーにとってのコピー問題。
ぶっちゃけ、ユーザーにとってコピーを聴くことは日常です。
カーステレオで聴く、携帯プレーヤーで聴く、友人にコピーしてあげて聴かせる、逆に聴かせてもらう、アナログディスクが主流だった頃には手間がかかったこうした所作が、CD以降はすごく簡単になりました。
CDの手軽さとともに音楽の消費は飛躍的に伸びました。
ユーザーはコピーを上手に使うようになりました。
そんなユーザーにとって、コピーを禁止されるというのは不便極まりありません。
一方、人々のコピーについての考えはひとつではありません。
日本レコード協会のアンケートによると、コピーが使われることに不快感を感じている人が全ての世代で1/3います。
その一方で、コピーを多用する人は同時に正規の商品を購入している人が多い、という海外のアンケート結果もあったりします。
これは多分、日本でも状況は同じです。
結局、音楽が好きだから聴くわけで、聴かない人はコピーもしないしディスクを買いもしないのです。

3。
経済的な視点。
コピーによって業界が不利益を被るという考えがあります。
一見、もっともなようですが、CDでコピーが簡単になった上にMDが普及して後、音楽の売り上げは飛躍的に増加しています。
ここ数年の音楽業界の売り上げ低下も、コピーによるものかどうかは明確ではありません。
現実に、コピーユーザーの多くが音楽の正規の顧客である以上、コピーのせいで売り上げが減ったかどうかはユーザーの財布の紐がきつくなったかどうかでしか分かりません。
きつくなったとしたらその要因がコピーかどうか、これはそのユーザー個人にしか分からないわけで。
これは大規模な統計でもとらないとわからないわけです。
寡聞にしてそういう統計結果は知らないのですが。

4。
もうひとつは、法的な視点。
アメリカでは、コピーソフトを使うパソコンユーザーのコンピューターをネットを通じて破壊できるようにしてはという法案を考えた議員がいます。
日本で広く販売されているCCCDは、無差別にコンポを壊してでもコピーを減らすことが少しでもできるなら、という商品です。
実際、CCCDを長時間連続使用すると確実にコンポは破壊される、という記事が雑誌に載りました。
編集長が自腹で実験したとか、、。
これらが法的にどうなるのか、普段の日常生活で法律など特に気にせず暮らしている人間にとっては、すごく奇異です。
よくこれで罰せられないものだと思います。
それでもCCCD販売は「著作権によって」守られています。
CCCDという粗悪品を販売することは、著作権によって、法的に正当な行為として認められるのです。
CCCDによるコンポへの負担は、消費者保護の法規によってしか裁くことはできません。
その一方でフェアユースという概念もあって(日本では現行法では受け入れられないようです)、著作権保護を巡っては、どこもかしこも大論争です。
コピーの扱いについても流動的です。

Hail to the copy right?

僕は、コピーについて思うこと(1)で、音楽業界は違法コピーと正面切って戦うべきではない。と書きました。
それはひとつには、業界が違法コピーと呼ぶもののユーザーの多くが「正規に音楽を購入してる顧客」だからです。
顧客を攻撃して売り上げを伸ばしたり業界の発展を求めるなんて無理な話です。
現実、顧客たちは日常的にコピーを利用しており、それでも顧客であり続けてきたわけで、今更止めろといわれても、何が悪かったの?という感じです。
CCCDなんて顧客を無差別攻撃するものですから論外です。
何を相手に戦ってるの?という感じです。

もともと著作権は、海賊行為を行う業者や盗作問題に対応した概念だったと思います。
そうした場合、著作権侵害の被害者は著作権者だけでなく、ユーザーも含まれました。
つまり著作権を守るということは、正規の保証された製品ではないものを購入する危険からユーザーから守る意味があったと思います。
安価に流通しているアジア圏由来の海賊版について取りざたされていますが、これらの品質について問題があっても不思議ではないですし、実際、問題があることもあるようです。
マフィアが関わっているという話もあります。
盗作の場合は、いうなればユーザーがだまされるわけです。
こうしたことで著作者、著作物に対してのユーザーのイメージが損なわれるのを防ぐ意味もあったと思います。

著作権を、現在問題になっているコピーに当てはめるのは、難しいです。
現在問題になっているコピー使用はユーザー自らが行っているものです。
しかもコピーを行っているユーザーが「買わないで済ます」と言い切れるものでもありません。
むしろコピーを行っているユーザーの多くは「人より多く買っている」ユーザーだという統計結果があります。
著作権について問題にするには、著作権者自らが「侵害行為をしていると思われる相手」を訴えなければなりません。
顧客を訴えなければならないような状況を生み出す現行法規の中で対応しなければならない業界に対して、僕は同情的です。
しかしそうはいっても顧客との泥仕合を業界は選択したわけで、顧客の一人としては冗談じゃないわけです。
泥仕合の武器にCCCDが選ばれたのですから。
これは、著作権の庇護の下で消費者に対する無差別テロ行為を行っているようなものです。
CCCDはコンポを壊すのですから。
詳しくは、こちらをごらんください。

本来、著作者とユーザーを守っていた著作権法規が、現在は版権者を守るためにしか使われていません。
それどころか現在は著作権によって、CCCDなどという消費者に被害が生じるものが正当化されているわけです。
著作権は、著作権保持者以外の者が、CCCDでリリースされた作品をまっとうな方式でリリースし直すことを阻止します。
それは、海賊盤といわれて糾弾されるわけです。
著作権は、ユーザーに不利益、もしくは損失を与えるものになりました。
これってなんなんでしょうか。
どうしてそんなことに?
ユーザー=泥棒だから?
いや、コピーと縁のないユーザーもCCCDからは逃れられません。

こうした「著作権者の暴走」を規制する法律は、今のところ消費者保護に関係した法律しかないようです。
現状、日本は消費者保護の方面の法律の整備は遅れています。
一方、「著作権保護」については、先進国の中でも法の整備が進んでいる国である、ということはあまり知られていません。
法の整備が進んでいる=先進的であるとは、この場合必ずしもいえません。
現在「輸入権」というものが導入されそうになっていて、識者から批判の声が上がっています。

CCCDは「製品による損害」を実証することが困難なようです。
老朽化と区別が付かないからです。
理論的に多くの不具合が予測され、実際に身近でしばしば不具合について耳にするにも関わらず、国民生活センターでも現在調査中であり明確な回答を出すに至っていません。
アメリカでは訴訟になるためか、未だにコピーコントロールされたディスクは少ないようです。
(コピーコントロールディスクの表記について既に訴訟になっているのですが、コンポへの負担や再生保証がないことでは、なっていません。)
工業製品の場合、製品のせいで問題が生じるとなったらメーカーの責任となるはずです。
自動車のブレーキが効かない、洗濯機が動かない、冷蔵庫が冷えない、炊飯器でご飯が炊けなくて、ユーザーの自己責任、ありえません。
本が落丁していて読めない、ユーザーの責任はありえません。
CCCDで、聴けなかったりコンポが壊れても、ユーザーの自己責任であるとメーカーは主張します。
なぜなら、そうパッケージに記載しているから。

こういう商売が法的に問題にならずに済んでいるのは、著作権がメーカーを保護しているからです。
「著作物だから著作権者の好きなように販売して良い」とされるから。
「著作物は複製権を持つ者以外は販売してはならない」とされるから。
複製権とは、要するに「Copy Right」のこと。
著作物を複製する権利です。
著作者(Author's Rightを持つ者)が、作品を複製、配布販売する権利(Copy Right)を他者に与えることができるのです。
版権は著作権の古い言い方ですが、最近は複製権とごっちゃに使われることが多いようで、あんまり正確な言葉ではありません。

No need to fight to prove your right

考えてみたら、著作を販売、配布するにあたっては、とてつもない自由度が保証されています。
表現の自由は保証されねばなりません。
例えば、「悪魔の辞典」という著作があります。
想像されるとおりのペシミスティックな辞典なのですが、「使えない」といって発禁になることはありません。
ポルノに関しては、規制の問題がいつも取沙汰されます。
現在も、問題になっているようですが、慎重に議論されるべき課題です。

表現の自由の名の下で、聴けない可能性やユーザーのコンポを壊す可能性がある製品を売るのは、どうなのでしょうか。
パッケージには「聴けない可能性がある」「不具合があっても関知しない」と表現されていますが、、。
このような問題のある形式で販売される著作物は、著作物と言えるのか?

そもそも今まで、ここまで問題があるメディアが広範に選択されたことはありませんでした。
メディアは基本的に万人に対して開かれた物であり、環境さえ整えたら誰でも利用できる物を選択するのが当たり前、というか、そんなことを改めて言う必要はどこにもありませんでした。
本を出版するなら紙に印刷しておけば文字が読める人になら伝わる。
目が見えない人には、点字、音声を使う。それで伝わる。
音声の再生にはコンポが必要ですが、メディアに沿ったコンポであれば問題なく再生され、相手に伝わる。
映像に付いても同様。適切な再生機器を用意したら誰でも見ることができるメディアを使う。
常識以前の問題でした。

CCCDは、今までの常識から逸脱しています。
ユーザーが入手するにあたって、再生の可否とコンポへの負担について考えなくてはなりません。
聴けるかどうかがギャンブルな訳で、かつコンポへの負担は必然です。
繰り返しますが、パソコン批評8月号では「連続使用で必ずドライブが壊れる」と断言されています。
こうしたギャンブルの要素と被害の要素をメディアが内包することは、そもそも著作権では想定されていません。
想定していなくても、現在の著作権法規はそうした著作物を、結果として守ります。
「音楽を買っても聴けるかどうか分からない。コンポが壊れるかもしれない。そういうハラハラ感を我々はCCCDを使って表現したいんです」とメーカーは言いたいのでしょうが、それは音楽という表現の本質ではありません。
よくよく考えてみたら、そもそもCCCDは「再生されること」を目的に販売されてる訳ではないのかも知れません。
再生されなくても補償はしない、購入者の自己責任と詠っていることからも、これは明白です。
聴けるか聴けないかは、ユーザーの責任で、メーカーの責任ではないということです。
聴けないことは、CCCDを売っている企業にとって前提であり、さほど問題とすべきことではないのでしょう。
CCCDはむしろ「コンポに負担をかけること」を目的に販売されているのかも。
コンポに負担をかけることは、CDSというコピーコントロールの手法のキモですから。
どのような方法で再生を試みたとしてもコンポやドライブに負担がかかることは確実です。
再生の可否よりも、こちらのほうをむしろメーカーは優先して販売しているのではないか。
実際「音楽が収録されたもの」というよりも「エラーの詰め合わせ」といったほうが感覚的にもしっくりくるし。
そう解釈したほうが、現実の事情と照らし合わせても理にかなっています。
しかし、その割には「コンポに負担があり、長時間の使用により壊します」とは記載してないなぁ、、。

とか、皮肉で言ってるんですが。
皮肉のつもりが、全然皮肉になってないですな、、。

例えばコンピューターウィルス。
ウィルスにも著作権はあります。
例えばこんな感じ。
著作権を宣言したソフトAが売られていて、代替ソフトはない。
これにあらかじめウィルスAAが組み込まれている。
ウィルスAAはシステムに致命的な問題を引き起こすものであり、にも関わらず、Aの作者はウィルスAAは必要だと主張する。
しょうがないので、みんなシステムクラッシュに脅えながらAを使っていた。
そんな中、ある人が、ワクチンを開発した。
そのワクチンは、このソフトAをコピーし、コピーに際してウィルスAAを改変、無毒化したウィルスBBに書き換えることで、ソフトBを作る。
こうして作られたソフトBは安全に使うことができる。
Aの作者は、このワクチンの作者を著作権の侵害で訴えることができるでしょうか。
そしてさらにユーザーに対して、Bを使わずAを購入して使うことを要求できるでしょうか。
ソフトにはバグというものがありますが、この場合Aの作者はウィルスAAを意図的に組み込んでおりバグと認めないというのが珍しいかも。

さらに例えばの話。
あくまで「分かりやすい仮定の話」の例として、マイクロソフトに登場願いましょう。
インターネットエクスプローラーのバグを取り除いた完全版コピーがネット上にばらまかれたらどんなでしょうか。
うーん、やっぱりマイクロソフトは著作権侵害を理由にこれを使わせないようにするかな、、、
これは、マイクロソフトに正当性がありますね。
しかし、もしも問題のバグがシステムにとって致命的なものだったらどうでしょうか。
システムクラッシュが頻発し、再インストール、場合によってはドライブの交換が必要になるとか。
この場合も、やはりマイクロソフトに正当性があるでしょう。
もっとも、ユーザーの苦情はすごいでしょうし、完全版コピーを使うユーザーに対してマイクロソフトも強いことは言えないでしょう。
エクスプローラー以外のブラウザを使う人が激増すると思われます。
ではさらに非現実的な話。
問題のバグがマイクロソフトによって意図的に組み込まれたものだったら。
かつインターネットエクスプローラー以外のブラウザを開発することは、著作権によって守られているためにできないとしたら。
正当性をどうこういう以前に、問題解決のために何から手を付ければいいんでしょうかね、こうしたケースでは?
もしも現実にこんなことになったら、世界はウィンドウズというOSを捨てる必要が生じるかも。
以上、非現実的な例えばの話。
でも、こういう話がホントにあったとしたらちょっと切実でしょ?

CCCDはそんなメディアです。
コンポに負担をかけるエラーは意図的に組み込まれており、リリースされる作品は特定メーカーに独占されています。
EMIは、すべてのディスクをCCCDにすると宣言し、実際にそうしようとしています。

ウィルスのワクチンソフトを開発する過程で、ウィルスは多分、本来の目的以外の用途でコピーされたり解析のため書き換えられたり色んな操作を受けるはずです。
ウィルスもソフトですから、著作権があります。
しかし、解析してウィルスを駆除するワクチンを開発することは、著作権侵害にはあたりません。
ワクチンソフトがウィルスからの二次創作物と考えたら、著作権侵害にあたるケースが生じる、という考えもあり得ますが、幸いにして今のところそんな訴えを起こしたウィルスの著者はいません(いないですよね?)

CCCDはウィルスを組み込んだソフトのようなものです。
ですから、ウィルスを駆除するための操作は著作権侵害にはあたらないと考えられます。
ウィルスを駆除するための操作は、CCCDの場合はコピーです。
だから多分、CCCDはコピーしても法的に問題ありません、と思います。
ほんとかなぁ、、、法律については素人です。
しかしプロテクトの専門家さえも「コピーして聴いたっていいでしょう。こんなもの売る方が悪い」といってるし。
うだうだ書いて結局最後はそこなのかよ、です。。。

Down by law

コピーして聴けば問題ないとしても、こういう製品を買う必要がある、あるいはこういう形式でリリースされる、というのはいかんともしがたいことです。
著作権法規は、作品の形式については規制していません。
いかに問題のある方式であろうと関係ありません。
著作権保持者が好きな方法でリリースしていいわけです。
極端な話、爆弾を詰めて売っても著作権上は問題になりません。
規制は、他の法規に依らざるを得ません。
幸いにして、爆発物や毒性のある化学物質、病原体などは使用が規制されている筈ですから、そんな心配はせずにCDを買うことができます。
CCCDに含まれているエラーは、規制されないのでしょうか。

PL法は候補になり得ると思います。

PL法の解釈では、ソフトウェアは規制の範囲から外れます。
しかし、CCCDはソフトウェアが問題なのではありません。
問題があるのは、媒体、メディアです。
今まで、問題があるメディアが意図的に選択されたケースはPL法では想定されていないと思います。

フェイクTOCについて、TOCを書き換えたものでソフトウェアだ、という反論があるかもしれません。
しかし、ソフトだとしたらこれは意図的にコンポの誤動作を引き起こすという点でウィルスそのものです。
T1、T2エラーについては、音楽情報に書き込んでいるのではなく、メディアのCD円盤への書き込み方か何かに操作を加えているらしい、といわれています。
フェイクTOC自体によってT1、T2エラーが生じるという説もあるようですが、それならフェイクTOCを読まない(メーカーに確認しました)僕のCDプレーヤーのサーボが異常な動作をすることについて、説明がつきません。
よくわかりませんが、いずれにせよ、これはメディアの問題と考えていいと思われます。

PL法について解説したサイトでは、フロッピーディスクなどに書き込まれた「ソフト」に不具合があった場合、規制の対象にならないと書かれていたりします。
しかし、「問題があるフロッピー」にソフトが書き込まれて販売されることについては記載されていません。
意図的に問題がある媒体にソフトを書き込んで販売するというケースが、今までの常識を超えているのです。
想定していない状況については、裁判において判例を積み上げる必要があります。
むしろ、CCCDについて司法の判断を求めていく必要があるのかもしれません。
言うのは簡単なのですが、、。

もしも雑誌で報道されたようにコンポへの負担と破壊が確実なものであれば、99.9%CCCDは敗訴するでしょう。
そうでなければ何のためのPL法でしょうか。
さて。
突然ですが2ちゃんねるの名無し氏によると、
PL法は製造物の欠陥により人体および財産に損害が発生した場合のみ有効なので「再生できない」だけでは欠陥と見なされない可能性が高い。
のだそうです。
彼がいうには、

CCCDを再生できるはずの機器(ハード)で通常の再生・使用を行った結果、器機が破損した。
→製造物責任法に基づきCCCD製造業者に損害賠償を請求

ポイント1
器機破損に至る使用状況が「常識では考えられないような使用」による場合は「誤使用」による破損と見なされる可能性が高いので、注意が必要。
ただし「破損」の程度は完全な破損でなくても「雑音が多い」、「音が飛ぶ」、「音質が劣化した」なども対象となり得る。

ポイント2
製造者の免責に関して、前述の通り「一部の器機で再生できない場合がある」という表記では不十分なのは明らか。
「不適切・不十分な表示」もPL法では欠陥と見なされる。

ポイント3
PL法に基づく告発は裁判によるよりも「国民生活センター」に対して行う方が現実的。
「消費者トラブル・メール箱」に投稿するだけでは具体的なアクションに結びつかないので、必ず窓口に相談する。
http://www.kokusen.go.jp/map/index.html

ポイント4
PL法では製造業者に輸入業者も含めているので、輸入盤の場合は輸入業者に対して損害賠償を請求できる。

(以上、引用)ということらしいです。
法律って不思議。
再生できないのは問題にならないけど、雑音、音飛び、音質劣化は対象になり得る。
うー、むずかしい。
パソコン批評8月号によると連続再生したら必ずドライブが壊れるということですから、やろうと思ったら自分のコンポでCCCDを連続再生すればいい。
僕などはCDDAを毎日5〜6時間連続再生していますが、全く問題ありません。
CCCDだとどうなのかというのは、実は興味があるとこです。
やってみたら、事例がひとつ出来るかもしれません。
問題があるとしたら、万が一にも「CCCDが判例で認められてしまったら」ということでしょうか。
控訴したらいいんでしょうが、現在の社会情勢は著作権保護の主張に対して「非常に甘い」ところがあります。
問題はあるがやむを得ない、メーカーの努力を求める、などといった判例が出たら実質敗訴のようなものです。
もし訴訟があってもそんなことのないように願います。

Substitute copies for the facts

著作権には、複製権(Copy Right)と著作者の権利(Author's Right)があります。
音楽作品がCDなどに「複製」され販売されるにあたっては、著作者から販売する企業に複製権が与えられている必要があるのです。
奇妙に感じられるのは「著作者」=「アーティスト」ではない、ということです。
プロダクションからリリースされる作品のAuthor's Rightは、プロダクションが所有することが多いらしい。
これは、メジャーとアーティストが契約する時点で、そういう契約になっているらしい。
アーティストは印税をもらう権利は得られるけれど、著作権自体とは関係がないらしい。
音楽プロダクションがAuthor's Rightを所有し、Copy Rightをしかるべき会社(プロダクション自身のことが多いか?)に与えて、リリースの運びとなる。
契約上、著作者の権利は実質プロダクションにあるのですから、要は作品自体の権利を全てプロダクションが所有するわけです。

コピーコントロールディスクを導入している会社やRIAA、日本レコード協会などは、複製権(Copy Right)が、ユーザーによって侵害されている、と主張しています。
つまり、複製を行うことができるのは著作者から「複製権」を与えられている販売会社だけだと主張しているのです。
でも、著作者って実質、販売会社なんですよね。
ユーザーには本来、複製=コピーを行う権利はないのだ、と。
ユーザーに著作権侵害の罪を犯させないようにCCCDを導入するのだ、とまでいった企業もいましたっけ?

CCCD日誌のほうにも書きましたが、僕は「複製権の独占」に問題があると感じるようになりました。
複製権を、特定の企業が独占しています。
これは「そうしなければならない」と著作権法規のどこかに書いているのでしょうか?
実はもともと複製権は、出版者が出版行為を独占するために生まれた権利だそうです。
その後に、創作者がもつ自然権としての著作権という考え方が確立して、創作者が複製権をはじめとする様々な権利をコントロールできるようになった、と、、。
なんてこったい、、。

ともあれ、音楽に限らずアートコンテンツには、ユーザーがオリジナルを大事にする文化が育っていました。
これは文化の発展の中で培われてきたものです。著作権の概念はそんな中から生まれてきたのだと思います。
だから結果として独占されていても問題なかったのです。
しかしオリジナルを大事にする文化は、破壊されました。
コピーコントロールを主張する企業が、不良品を販売することでオリジナルの価値を破壊しました。
コピーコントロールディスクは、そもそも聴けるかどうかさえわからないのですから。
企業は、ユーザーのコピーによって音楽文化が破壊されている、と主張します。
しかしコピーはコピーです。
オリジナルを直接破壊したのは、コピーコントロールです。
法的な問題を孕むにせよ聴けるコピーに対して、聴けないオリジナルでオリジナルの価値を主張するなんて、倒錯もいいとこです。

そもそも複製権を独占しているから、CCCDなどという不良品を平気な顔して売ることができるのです。
それが当然で正当だと思うほど、彼等の感覚はおかしくなっています。

独占が禁止されれば、他の企業から同じ作品が正規のCDDAでリリースされる可能性が生まれます。
著作者の権利(Author's Right)さえ守られれば、音楽文化の発展のために何も問題はないはずです。
複製権を行使する者たちの間で、健全な競争原理が働くと考えられます。
コピーコントロールディスクなんて不良品を売る者は、たちまち淘汰されるでしょう。

複製権(Copy Right)ってなんでしょうか。
これは現在、著作者の権利(Author's Right)を持つ者によって、与えられるものとされています。
現代はコピー社会になりました。
情報化社会です。
複製権を「著作者が主体的に他者に与えるもの」だと考えたら、現代社会には海賊行為が溢れています。
これを「取り締まろう」と著作権の所有者が大変な思いをしています。
ユーザーも納得がいかない気持ちを抱えています。
世の中が窮屈になるだけです。
複製権の独占を主張する者たちが己の利益ばかり追求して、社会全体の不利益を生んでいるように思います。
もっとも、彼等がそれで利益を確保できるかどうかは、かなり怪しいわけですが。

Equal Right

僕は、
「Author's Rightを尊重するすべての者に対して、Copy Rightが与えられるべきである。 何者もそれを妨げてはならない。」
「Author's Rightの尊厳を破壊するすべての者からは、Copy Rightを剥奪すべきである。」
と、思うようになりました。

CCCDの問題は、複製権を独占する者によってオリジナルの価値が破壊されている問題です。
複製権が解放されればCDDAでリリースする企業が現れますから、問題は解消されると思います。
著作者の権利さえ守られれば、文化とその成果が共有されることは社会にとってプラスになります。
不完全なコピーコントロールディスクのような不良品を販売する企業からは、複製権自体を剥奪すべきです。
これは、オリジナルの価値をおとしめAuthor's Rightの尊厳を破壊することだからです。
もっとも複製権が解放されたら、それだけでCCCDなんて売る企業は淘汰されますが。

これは、コピー社会である現代においては、ある程度の複製権が「あらかじめユーザーに与えられる」ようにした方が、コピーを禁止しようとするよりも問題が少ないと考えるからでもあります。
つまり、複製権の解放は、ユーザーサイドでも行われ得るのです。
製品を購入した者は、価格に見合った範囲でコピーを使用する権利を持っている、ということです。

こんなこと考える人は少数派でしょうが、しかし他にも誰かいそうな気がします。
とっぴな考えではない、と思いますから。
違うかな?、、、

I don't believe in ...copy right

1。
まず音楽業界にとってのコピー問題。
不良品を販売することを正当化してまで複製権を独占し、音楽文化を破壊してまで自分達の利益の基盤を固めようとする音楽業界からは、Copy Rightを剥奪すべきです。
音楽を「複製」し販売、配布するにあたって、Copy Rightが解放され、企業間で競争がなされるべきです。
そうすれば、コピーコントロールディスクのような不良品を販売したら平気でいられないような環境になります。
僕は、コンテンツを購入したユーザーにもある程度のCopy Rightが与えられるべきだと考えます。
購入した時点でAuthor's Rightを尊重していると見なし、購入額に見合った権利が与えられるべきです。
コピーしてカーステレオで聴くのもダメなどという言草が、できないようになってほしい。
これは個人的な意見であり、現実の問題に対して何ら法的な効力や、きちんとした理論的背景を持つ考えではありません。
しかし、非現実的でも自分の考え、希望として書いておきます。

2。
次にユーザーにとってのコピー問題。
現時点で、音楽業界はユーザーのCopy Rightを認めておらず、RIAAや日本レコード協会は、カーステレオでコピーを聴くのも違法だと主張しています。
しかし、アメリカでは個人使用のためのコピーが権利として認められているときいています。
日本の裁判所も、個人的な範囲でのコピーの使用を認める判決を出しています。
これらはユーザーのCopy Rightが判例上で認められた例だといえるかもしれません。
しかし今の時点では、ユーザーのCopy Rightは日本では明確な権利として法律の条文としては確定していません。
(情けないけど、これも訂正。うろ覚えの伝聞の知識でソース確認ができていないことに気付いたので。)
日本でも法的に個人的なコピーの使用は認められているはずなのですが。
通り一遍な言い方しかできませんが、Author's Rightを尊重してコピーを使用する節度が必要だと思います。
Author's Rightを侵害する者に対しては、何らかの法的な対応がなされるとしてもやむを得ないと思います。
しかし、RIAAがp2pユーザーを起訴しようとしていることについては、CCCDを売るような人達には起訴する資格はないと僕は思っています。
p2p関連企業とRIAAとで話し合いが行われているようです。
何らかの妥協点に到達できれば良いのですが。
p2pは、セキュリティの問題がありますし品質が保証されません。
従来の、保証されたコンテンツがあった上でのp2pなのですから。

3。
経済的な視点。
まず、コピーコントロールディスク。
100害あって一利なしです。
売り上げの低下は止まっていません。
CCCDの場合、コピー防止になってない上にコンポを壊すゴミ以下の製品ですから、それで売れたらメーカーも困らないとおかしいわけですが。
ま、そんなゴミ以下の話はいいです。
コピーを厳密に禁止することは、むしろ音楽などの娯楽よりも他の領域などでの不都合が多いような気がします。
サイエンス分野では、論文を利用しようとしても出版された原本にいちいちあたらないといけません。
ひと昔前はコピーが多く利用され、情報の管理もやりやすく、論文の内容を生かしていくことができました。
最近は、情報の入手自体、手段の制限のために簡単ではありません。
それを海賊行為といわれたら返す言葉もないですが、制限にメリットがあるように思えません。
著作権保有者にとって利益になるかもしれませんが、社会全体でみたら進歩の足を引っ張るんじゃないかと個人的には思います。
というか、そういうことを論文の著作者が望んでるのかなぁ、、。
論文雑誌の出版社がいってるんじゃないのかな。
共有財産にすべき情報は、とっととザナドゥプロジェクトみたいなアーカイブを目指すほうがいいんじゃないかなぁ。
理想論ですけど。
複製権が解放されたら音楽業界では何が起きるか、考えたことは後ほど書こうと思います。

4。
もうひとつは、法的な視点。
PL法に関することで、コピーコントロールディスクは法的に問題があると考えられます。
メーカーが採用を中止しない限り、近い将来、法的に白黒付けなければならない事態に至ると思います。
複製権の独占の問題は、早急に解決していかなければならない課題だと個人的に思います。
そのせいでしっちゃかめっちゃかなんだから。
複製権の独占を容認する限り、企業は輸入権など問題がある法的規制を強化していこうとすると思います。
企業が長期に渡って安定した利益を得ようとするのは当然ですし、それが健全な競争とモラルを背景にして行われていれば納得もいきます。
しかし独占を背景にして行われた場合はユーザーを置き去りにしてしまいます。
CCCDに、それがはっきりと現れています。
というかユーザーをみくびってるっていうの?
コンポ破壊するディスクを黙って売ってるし。
まぁ、ろくなことになってないわけです。
広く公開された複製権のもとで競争が起きるようにした方がいいんじゃないかな。
著作者もユーザーも損しないんだから。
複製権保有者が損する?
そんなことはないと思いますがね。
色んな会社からリリースされたらユーザーが迷う?
コピーコントロールディスクを売られることを考えたら、僕は気にしやしないですよ。

追加。
共有されるべきものについての視点。
ネット上に公開された情報の多くに著作権に関する記述があります。
これらを引用する場合、どこまでが引用でどこからが著作権侵害なのか、とても微妙です。
気になるのは、一見これは万人に無料で公開され共有されているように見えて、実は、サーバー上にしか存在しないものである、ということです。
ブラウザには、ページをダウンロードする機能があります。
これを制限するべきだという意見があります。
リンクについても著作権の範疇で語られることがあります。
しかし、ソースのダウンロードやリンクが著作権絡みで制限されたら、サーバー上のファイルに何らかの操作が行われた時に、それを検証する手段がなくなります。
つまり、何らかの意図を持つソース提供者、もしくはハッカーなどの侵入者によって記事の改編、削除などが行われても、全く痕跡がない、ということが起きる可能性があります。
従来のメディアでは考えられないことです。
今後、ネット上の情報ソースは増加し、ネット上にしか掲載されない情報も増えていくでしょう。
何がどのように共有されるべきなのかを考えるべきですし、共有されるべき情報については著作権による制限をどこまでかけるべきかを考える必要がありそうです。
例えばハスキング.ビーの掲示板で行われたビクター社員の世論誘導は、掲示板の閉鎖とともに何があったか見られないものになりました。
その後、謝罪文がサイト上に掲載されましたが、それも今は削除されています。
現在、跡形もなくなりました。
何が行われたのか知らない人にはわかりませんし、ソースを辿ることさえできないのです。
マスコミに向けて記者会見して謝意を表明したりするのとは、そういう意味で全く意味が違ってしまっています。
複製権の解放は、こういったことに対して一定の抑止力になるのではないでしょうか。
ちょっと話が違うかな、、。

I had a dream in the middle of the day
and now my waking dream won't go away

さて、妄想みたいなこと書いてるわけですが。
法律を知らない素人がバカなことをいってると思われるかも。
でも、続けます。
複製権を解放して支払いに見合った複製権を平等に与えろということですが、その結果どんなことになるか。

廃盤の問題のかなりの部分が解消されます。
まず、ニーズがあるところには提供したいと願う企業や団体が出てくるはずです。
こうして廃盤になったままだったディスクが店頭に並びます。
ニーズが少ないケースであっても、ファン自身がAuthor's Rightを持つプロダクションに支払いの意志を伝えるだけで、複製の権利が生じます。
とはいえ簡単に複製はできませんから、どうしましょう。
だから、プロダクションに著作権使用料と手数料を支払って、CD−Rか何かに複製し送ってもらうサービスが考えられるでしょうか。
つまり複製権を独占する企業から提供されるものの中からユーザーが買うのではなく、Author's Rightを持つ相手に対してユーザーが直接、複製して手に入れる権利を行使するわけです。
何かと面倒ですから、ネット上に音源をアーカイブ化するプロダクションが出てくるでしょう。
こうして、実質的に廃盤がなくなります。
完全な自主制作でリリースしているアーティストは何かと大変でしょうから、このへんの手続きや流通を請け負う業者が出てくるかもしれませんね。
そもそも現在の多くのインディーズレーベルはそういう役割を果たしてるのかな。

p2pなど、ファイル交換はどうなるでしょうか?
会員制などによって一定の著作権使用料が払えれば、p2pユーザーがファイル共有活動をするに足りる複製権を得られるようにできるかもしれません。
日本のレンタル業界のような感じです。
どの程度の金額が、どのように支払われたらいいのかという問題はありますが。
しかし、p2pの問題って、複製権の絡みだったっけ?
ちょっと微妙ですが。

世に出したくない音源について、Author's Rightを持つ者がリリースを止めることは可能でなくてはなりません。
例えば未完成な作品の音源が著作者の承諾なしにリリースされるようでは困ります。
Author's Rightを持つ者がリリースを認めた作品についてだけ、複製権の独占が生じないようになればいいのです。
さて、現在、ライヴの録音は禁止されていることが多いわけですが、そうなると、ライヴ盤というものがなくなちゃうのか?
Copy Rightが平等に与えられる世界では、Author's Rightを持つプロダクション自身とて例外ではありえませんから。
録音は「誰にも許されない」ということになりますから。
しかし、ライヴの録音は「リリースするための素材を作る行為」と位置付けすることが可能かもしれません。
改めてきちんと編集して「完成した作品」として世に出すという考え方をとることも可能です。
現在、既に海賊盤でライヴ音源などが出回っています。
これらはどうなるんでしょうか?
現在、録音自体について海賊行為とされています。
しかし複製権が解放されたら、入場料を払った時点でライヴの録音の権利を与える、というふうに解釈することも可能かもしれません。
それは困るということなら録音禁止でもいいのですが、それでも録音されることがあったりしますが、、。(汗
いずれにせよそこで録音されて生まれた音源には、作品のライヴが収録されています。
ですから、Author's Rightが影響してきます。
複製権が解放されていれば、このライヴをリリースしたいという申し出があったらAuthor's Rightを持つ者がどうするか決めることになります。
なんらかの形でリリースされるも良し。
音が悪い、演奏に満足できないなどの理由でリリースを止めるも良し。
Author's Rightを持つ者が、よかれと思う方向でやればいいわけです。
当然、リリースされるならAuthor's Rightを持つ者はそこから利益を得ます。
つまり良質な「海賊盤」がAuthor's Rightを持つ者から公認される道が開けるわけです。
考えようでいろんなケースが想定できそうです。

二次創作の状況も変わるでしょうか。
製品を購入した時点で、素材として複製利用する権利があると解釈することができるようになります。
アマチュアバンドがカバーしたり練習に利用するとか、そうしたことが作品の購入者は承諾なしに出来るという解釈が可能かも。
Flashなどでの利用や、歌詞の引用なども現在ほどの強い縛りはなくなります。
金銭を得た場合は問題になるでしょうが。
しかし同人誌などの場合は、二次創作物自体に対しての著作権を認める解釈がなされる場合も多いようです。
現状、いろいろなわけですが、、。

現在、Author's RightとCopy Rightの所有者の境界は曖昧です。
大抵、Copy Right所有者は、実質的にAuthor's Rightも所有しています。
だから音楽家など創作に携わる者は、Copy Right所有者の掌の上で創作を行うしかありません。
契約に縛られているのです。
Copy Rightが解放されれば、両者の間にはっきりと境界が引かれることになるでしょう。
つまり、クリエイティヴな作業に専念する工房(販売もやったっていいのですが)と販売流通業者とに業界が別れていくことを意味します。
だって、どこで製作された作品であっても、複製権が解放されていれば、どの企業がリリースしてもいいのです。
その結果、でかいメジャーと契約することのメリットはなくなります。
売れる作品ならばどうせメジャーからもリリースされるでしょうから。
メジャーからしたら、売れる作品を確保するためにあれこれ苦労する必要がなくなるわけです。
うちに所属してないアーティストの作品は売らないと意地を張って、利益を得る機会を捨てる企業は、メジャーといえど多分あんまりいないでしょうからね。
プロダクションは音楽をリリースする場から、アーティストに創作環境を提供する場に徐々に変わっていくでしょう。
マーケティングや販促に追われるよりも、いいものを作って売ってもらう方が実入が多い状況になっていくような気がするので。
販売と創作が明瞭に別れることで、クリエイティヴな作業に携わる者の業界の中での影響力はおそらく強まるのではないかと思います。

他にもいろんなことが考えられるかも。

Ain't but the one way...

そもそも音楽を前にしたときに、音楽家とプロダクションとファンは平等であると思います。
音楽、文化は経済活動であると同時に共有財産ですから。
音楽のうねりの中からファンが生まれ音楽家が育ちプロダクションが間を取り持ってきていました。
コピーコントロールは、現実にはそうではないこと、圧倒的にプロダクション優位であることを白日の下にさらしました。
だって、不良品を売る権利が認められていると、業界は主張しているんですから。
そしてその不良品が、そこそこ売れているようです。
これ以上の売り手優位な業界が他にあるでしょうか。

コピーコントロールが導入される一方、廃盤の増加が指摘されています。
発売されて、たった1年後に廃盤になることが少なくないのだとか。
利益優先の論理で、聴きたいものが買えない状況が作られています。
そんな状況にも関わらず、コピーコントロール業界は複製権の独占をより強く主張しており、音楽は「死蔵」されているのです。
聴きたいものがあってもプロダクションが保有する著作権の壁の前にどうすることもできません。
こういった状況は、音楽に限りません。
マンガなどの出版物やアニメーションについても同様の現象が見られます。

考えてみると、コンテンツは増加し続け、ニーズは多様化しています。
利益を追求せざるを得ない業者にとって、これら膨大なコンテンツを管理していくこと自体が困難になっているのではないでしょうか。
複製権が独占されるままだったら、死蔵される作品はこれからどんどん増えていくでしょう。
売っても金にならない、という理由で、手に触れられないものになっていくのです。
業者がユーザーにソースを提供できない場合、業者の目録の中で埋もれたまま放置されることが作品にとって良いこととは思えません。
誰も得をしていないのですから。
金にならないものには存在価値はない、というのであれば、既に文化ではありません。

現在、企業サイドでは複製権の独占を強化しようとする動きが非常に強まっています。
コピーによって不利益を受けているから管理を強化しなくてはならない、というのが、企業サイドの言い分です。
しかし、コピーによる不利益はどの程度のものか、実際には全くわかりません。
そんなもの、実はないのでは?と僕は思っています。
むしろ管理の強化によって「今まで取っていなかったところからお金を取れるような環境を作る」ことを目的にしているのでは、と感じています。

多くのコンテンツによって文化が生まれているならば、著作権を管理する方法は、特定の企業や業界にだけ利益があるものであってはなりません。
著作権を管理する方法は、現状の方法以外にもあると思います。
社会全体の利益という視点から、著作権を考えてなおしていく必要があるのではないでしょうか。
コンテンツを文化的な共有財産として捉えていく必要性が、昔よりも高まっていると思います。
複製権の解放は、文化的なコンテンツを社会全体で保護していくための基盤になるのではないかと思っています。

書きたい放題書きましたが、このへんで終わりにします。
オチがないなぁ。。。
Let the children lose it. Let the children use it. Let all the children boogie.....
音楽の自由と志を信じて。とかいって。

2003.08.21.



サブタイトルについて

サブタイトルについて説明です。不粋だなぁ、、ま、いっかぁ。

★Imagine there's no copies. It is hard to do.
John Lennonの名曲、Imagineの一節を引用改変。原曲は"Imagine there's no countries. It is't hard to do."です。
Imagineは世界中で歌われています。コピーもたくさんされてるはずです。

★when I was younger so much younger than today I never needed anybody's help in any way
John LennonのBeatles時代の名曲、Help!の一節を引用。「ぼくがずっとずっとちいさかった頃は、何やるにしたって誰の助けもいらなかったもんさ」という歌詞。
原曲では引用したフレーズに続いて、でも最近は全然自信がねぇよ、、、という内容が続きます。
時代は変わりました。まったく誰にとっても「どうか助けてくれないか?」です。

★Hail to the copy right?
Radioheadのアルバムのタイトル、"Hail to the thief"を引用改変。このフレーズはアメリカでブッシュ大統領が選出された時にいわれた言葉です。
アメリカの民主主義はこのときに何かが壊れたような気がします。

★No need to fight to prove your right
The Whoの名曲、ババ・オライリーの一節を引用改変。原曲では、"I've no need to fight to prove I'm right"。
音楽を聴く権利を証明する必要なんてないと思いますね、といいつつごちゃごちゃ書いてます。聴けなかったら気にせずコピーしちゃえってことで。

★Down by law
ホントは"Down by low"というスラング。ただなんとなく法律の話ということであんまり考えず付けたタイトルです。

★Substitute copies for the facts
The Whoの名曲、Substituteの一節を引用改変。原曲では、"Substitute lies for fact"というフレーズです。
本命でないもので欲望を処理しなければならない現実を歌っています。CCCDでオリジナルが破壊された今、どうしても聴きたければコピーするしかありません。
でもそれで、満足できるんでしょうかね。

★Equal Right
Peter Toshのアルバムのタイトルです。邦題はそのまま、平等の権利。

★I don't believe in ...copy right
John Lennonの名曲、Godの一節を引用改変。原曲では、"I don't believe in Beatles."です。
Johnはこの曲でBeatlesという夢を否定しました。Johnは、音楽を続けていくためにBeatlesという巨大な制約から逃れる必要があったのです。
copy rightを否定した先に何が残るんでしょうか。コンテンツとそれを尊重する気持ちだけが状況を打開すると思います。

★I had a dream in the middle of the day and now my waking dream won't go away
Julian CopeのAutogeddon bluesの一節を引用。Julianのアルバム"AUTOGEDDON"は、資本主義と企業の論理によって動いていく世界について歌った作品です。

★Ain't but the one way...
同じくJulian Copeの曲のタイトル。「ファシストしか見あたらないぜ」というフレーズから始まる歌です。
曲中では、"Ain't but the one way...to be free."と続きます。「ひとつだけなんてことはない、自由への道は」という感じかな。

☆Let the children lose it. Let the children use it. Let all the children boogie.....
タイトルではないですが、David Bowieの名曲、Starmanの一節を引用。Bowieは、自らが音楽表現に携わることのとまどいをこの曲で表現しているように思います。
Bowieの作品はCCCDになりつつあります。この曲で歌われたデリケートさには全く似つかわしくありません。


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