2003.12.29.
音楽ソースのコピーについては、いろんな考えの人がいるでしょう。
我ながら難しいことを書こうと思ってしまったものです。
しかしCCCDの問題を考えるうち、何らかの自分なりの立場は表記しておきたいと思いました。
というわけで書いたのが、第1版。
考えるところあって複製権について書いたのが、第2版。電波きてるけど。
10月22日のCCCD日誌に第1版を書き直すと書きました。それがこのファイル。
また別物になりました(汗。だから第3版です。文字数は減らすつもりだったけど、減りませんでした。
まずは、自分の立場。
コピーの何が悪いの。ということ。
音楽を聴く方法は、CDメーカーから買う以外にもある。
エアチェックしてもいいし、レンタルだってあるし、友達に借りてもいいかもね。
ネットで共有?
好きにすればいいんじゃないの?(ただし自己責任でね)
支払いの有無は音楽の本質じゃないもの。
音楽とどう付き合うかは各人の自由です。
音楽は、聴きたい者の耳に届くべきだし、歌いたい者が歌うべきだ。
それが出来ないものは音楽ではない。
そうした本質がないがしろにされる方法論は、どんなに整合性がとれていても納得できない。
そういう方法、制度を選ぶことは、音楽を殺すことだから。
現在、コピーがなぜ問題になるかというと、損害を受けたと主張する者がいるからです。
その損害の根拠は、コピーの蔓延です。
買うはずだった人が買わなくなった、という考えです。
これには根拠がありません。
状況証拠として彼等が上げている事実も、証拠として不十分だと思います。
まぁ、妄想です。
妄想のもとで彼等は損害を受けたと主張し、変なものを売って社会に迷惑をかけています。
個人だったら措置入院(註)ですが、企業ですからそうもいきませんね。
法律に守られてるしね。
妄想に基づく主張に流されるままに音楽の有り様が決められていいのかどうか、ということがあります。
そういうわけで、僕はコピーの制限には反対でした。
だって、ほんとに好きなら買うよ、と思うからです。
CD売り上げの低下はコピーのせいではありません。
むしろ、コピーを制限する弊害の方が大きいように思います。
洋楽でレンタルが出来なくなった後に日本の洋楽市場が縮小した、過去の事例もあるし。
しかし数カ月前には、僕はコピーの使用が制限されても仕方がない、と思っていました。
それは、「ただで手に入れるに超したことはない」と考える層が増えている、と感じたからです。
そうした人たちは、モラルに欠けるようなことでも、何の抵抗もなく平気で行い、自分が得をしたと思っています。
やった者勝ちということです。
それには歯止めをかける必要がある、と思いました。
声高に損害の主張をしてるのは音楽業界だけですが、本当はこれは社会も被害を受けているんですよね。
どういう被害かというと「不公平」という被害です。
だって、一方で金を払って聴く人がいて一方にただで聴く人がいるんですから。
両者の間に不公平があります。
現代は競争社会ですから、不公平について追求されることは少なくなりました。
勝ち組、負け組ってやつですね。
ダサい流行語ですね。
そういえばバブルの頃には、明るい暗いっていう似たような流行がありましたっけ(註)。
世間の価値観を反映するんでしょうね、こういう流行語って。
おかしな世相だから、おかしな流行語が流行るんだろうなぁ。
話がそれました。
いうなれば、ただでゲットする者が勝ち組なわけですね。
金払って買うなんて「負け組」なわけです。
利益を得るためなら何をしたって構わないという行動原理に染まりきった考え方というわけです。
まるでアメリカのネオコンです。
コピー防止は、音楽を巡るこうした不公平を是正することでもあるわけです。
不公平が当然のこととして認知されたら、モラルハザードが生じます。
これは現在の治安の悪化を見れば一目瞭然で、社会全体の負担増加に繋がります。
音楽の世界でもそういうことが起きているわけです。
僕がコピー制限を許容する考えを持ったのは、むしろそういった部分からでした。
それが何で、コピーの何が悪いの。になったんでしょうかね。
本来、音楽への接し方なんて十人十色なんですね。
聴きたい者が聴きたいように聴けばいい。
歌いたい者が歌いたいように歌えばいい。
コピーで満足?
ホントに満足ならいいんじゃないの(でも正当性の主張なんて聞きたくないな)。
お金がないからコピーでがまんしてる?
貯金してそのうちいいもの買えたらいいですね。
買って聴く?
けっこうなことです。音楽家に感謝されますよ。
コピーコントロールディスクは聴けないと?
そりゃー聴きたければコピーを聴くしかないかもね。同情します。
楽しめるなら何だっていい。
音楽は楽しみですからね。
amusementなわけですよ。
何と言うんでしょう。
どのような理由であれ、音楽自体を楽しめないというのはバカらしいと思うようになりました。
聴きたければ好きな手段で聴けばいいと思います。
購入だろうがコピーだろうが、聴きたいと願う人の耳に届くというのが音楽に対する手向けです。
メーカーの都合?
どうだっていいです、そんなこと。
著作権法を遵守すべき?
些末なことに捕われてバカらしい。
要は、自由に音楽と接したらいいじゃないか、ということです。
その延長として「コピーの何が悪いの」ということになったわけです。
なんか、これで終わっちゃめっちゃまずいですねー。
はっきりいって、前述の不公平の問題や、製作する側が損害を被るという視点は抜け落ちています。
というか、著作権法規をのっけから無視してるんですね。
僕は、音楽を楽しむという視点が抜け落ちた、利害だけを根拠にした方法論は、結局は血が通わない制度にしかならないのでは、と思っています。
そうした制度は、結局は音楽を閉塞させると思います。
何で著作権の保護が音楽を閉塞させるかって?
それは、現状の著作権法規を厳格に適用すればするほど、ユーザーの自由度が奪われるように元々なっているからです。
音楽は自由ですからね。
自由度が減れば閉塞します。
実際、音楽に限らず過剰な著作権法の適用に反対する意見は少なくありません。
それらの多くの意見は、文化の保護のため、ということでなされているのです。
なんという矛盾でしょうね。
音楽業界が、コピー防止機能をコンテンツに付加する事自体には反対しません。
別に禁止されてませんし、筋が通ったものなら音楽ファンも反対しませんから。
逆に、同時にまっとうな著作権教育が行われるのならば、むしろ良いことかも。
しかし、音楽ファンが音楽そのものを楽しめないような代物を売るような企業は明日にも潰れたらいい、ぐらいのことは考えます。
現在のコピーコントロールディスクは、その最たるものです。
再生に不具合があるのですから。
まともに聴けないことが前提になってる音楽メディアなんて。
そして「まっとうな著作権教育」って何でしょうね。
個人的には、コピーコントロールディスクは買いませんし聴きません。
それが僕なりの、コピーコントロールディスクに収録されてしまった音楽への接し方です。
聴きたいと願う人の耳にきちんと届かないことを宿命付けられた音楽は、音楽ではない、と思います。
コピーコントロールディスクは、いうなれば音楽の棺です。
店頭で陳列されているコピーコントロールディスクを見ると、まるで音楽の墓標が並んでいるかのように感じます。
僕は墓堀人の懐を肥やす気になれませんから、買いません。
なんだか墓をあばくような気分になってしまうので、聴くこともしないのです。
棺から引き出して耳元で再生させるのがいいと思う人もいるかもしれません。
棺のまま眠らせてやるほうがいいと思う人もいますね。
僕は後者、ということです。
なんかね、棺から引き出したのならゾンビじゃん、とか思っちゃうんですね。、、笑えね。
コピー防止機能ですが、現在は携帯音楽端末が広く普及してしまっています。
i-Podです。
CD何百枚分もの音楽を突っ込んで携行出来るこのハードウェアは、とても便利なものらしいです。
そりゃ、そうですわなー。
i-Podに限らず、現在の音楽文化の中でコピーの使用は日常となっています。
現在の著作権法規でも、自分が購入した音源を自分のためにコピーして使うことは認められています。
僕らはコピーとの付き合い方をよく知っているのです。
本気でコピー防止をしようとしたらi-Podを切り捨てることになります。
僕らが日常的に付き合ってきた他のコピー達ともサヨナラです。
まぁ、逆に言えば、i-Podを使うのは「コピーを聴くことの何が悪いの?」というスタンスの表明な訳です。
アップルコンピューターはiTunes Music Storeを運営していますが、ここで購入出来る音源は、コピー使用の自由度が非常に高いものです。
これはほとんど「コピーできたって問題ないよね」と言って売ってるようなものです。
そして順調に売り上げています。
コピー防止は現行のCDでは、実質、不可能です。
不可能なことをやろうとしたって無理なことです。
不毛なことにこだわって無駄なことをして、聴けなくても問題ないとする企業に、ユーザーが付いていくわけがありません。
次世代規格のSACDだと、i-Podを使うことは不可能になります。
極端な話、アナログ出力からデジタル化することは出来ますが、利便性は著しく低下します。
SACDドライブがパソコンの周辺機器として販売されたら可能になるかもしれませんが、音楽業界はそれを許さないでしょう。
しかし、もし許したとして何か問題が生じるでしょうか。
アップルのi-PodとiTunes Music Storeの成功は、そういう問いかけでもあります。
現在の著作権法規上は、所謂コピーの違法使用は、著作権所有者が告発しないと罪に問えないとされています。
ネット上の共有に付いて、音楽業界は告発しています。
告発によって共有が減ったかどうかははっきりせず、売り上げの増加に結びついたものかどうかも不明です。
そのネット上の共有について、最近、有料化の提案が出てきています。
告発するよりも、そういった方向性の方が現実に則した対応だと思います。
コピーされるかどうかが、経済的にほとんど問題を生じないとしたら。
ネット上の共有が、著作者に利益をもたらすものになり得るとしたら。
もしそうなったら、企業がコピー防止に取り組む意味はなくなります。
なぜ音楽業界はコピー防止にこだわるのでしょうか。
確かに「聴くなら金を払え。払わないなら聴くな」というのは著作権法規上は正しいのです。
法的には、すごく正しいんですね。
法的にはね。
でもこの主張、全く音楽的じゃないですね。
そもそも著作権は、コンテンツや音楽家を守るものではありません。
特に複製権をはじめとする著作隣接権は、コンテンツを販売する企業の利権だと言っていいでしょう。
現在の著作権法規は利権に関する法規で、コンテンツの独占販売が認められています。
それをいいことに、例えばCCCDやレーベルゲートといった不良品が販売されたりしているわけです。
独占販売って、どういうことかって?
例えばビートルズのCDはEMIからしか買えないっていうこと。
ダイソーで売ってるって?
あれはどうなってるんでしょうね、きちんとしたものなら著作権使用料が支払われてるはずです。
著作権法は、基本的にユーザーの都合は考えてないんですね。
だから著作権法を厳格に適用すればするほど、ユーザーは不便になるわけです。
コピーコントロールディスクに至っては、被害を与えられて救済もありません。
海賊盤の方がマシかもしれないですね。
情報化社会が進む中で、コンテンツの管理を発信者が行うことが可能になってきました。
例えば地上デジタル放送は「コピーワンス」という著作権管理が行われるようになります。
コピーして個人のライブラリとして保存することが難しくなります。
編集が著しく制限されるようです。
音楽のネット配信はおそらく、ディスク等で販売されるよりも正確な管理が可能になると思います。
音楽CDはデジタルコピーできますが、もともとコピーガードされたファイルはできません。
ディスクは中古販売に流れたりしますが、ハードディスク上のデータは出来ませんね。
レンタルも出来ないわけです。
従来の音楽のネット配信で得られるファイルは、高価な上にコピーが出来ないようになっています。
これに対して、アップルが配信しているファイルは安価な上に何世代にも渡ってコピーが可能であり、大きなアドバンテージがあるものです。
アップルのようなやり方なら売れるにも関わらず、音楽業界はこうした方法は取らずにいました。
彼等にとっては、安価でコピー出来るというだけで問題外なのです。
なぜでしょう。
音楽業界は独占の旨味をよく知っています。(註)
だから再販制度を維持したり、輸入権法制化に奔走してるんですね。
音楽業界が提供するデジタル配信の音楽ファイルが、バカ高い上に融通が利かないのは、独占販売される商品だということの現れです。
業界がコピー防止を声高に主張するのはなぜでしょう。
僕は、「コンテンツ=金権」という著作権法規上の性格が、情報化社会が進むにつれて強まっているからだと思います。
音楽業界が、著作権法のそういう性格を強調し、情報化した状況に適用しようとしている、と言ってもいいでしょうか。
情報化で情報が解放される一方で、情報の管理も進んでいるということです。
コピーワンスのように。
将来、どうなるか。
デジタルデータを著作権法に基づき独占することで、法的に認められた確実な収入が得られるように出来るでしょう。
サーバーの設定をちょこっとしておけば、あとは自動的に著作物使用料が銀行の口座に流れ込むようになるわけです。
もっとも最近は、普及させて将来の地盤を作った方が良さそうだ、という方向に方針転換する企業もあるようですが。
ソニーとか、Any Musicというのを始めるそうです。
このままではアップルに全ての油揚をかっさらわれてしまいますからね。(註)
音楽業界が著作権をうるさく主張するのは、そうした背景があるのだと思います。
コピーできないのが当然のこととして一般のユーザーに浸透したほうが、将来、管理がやりやすいですから。
法律の後ろ楯もあるし。
現在の売り上げが少々落ちたって、将来取りかえすことが出来ます。
だってコンテンツを独占する権利は何十年もあるんですから。
しかしそうしたビジョンも、今までは実現できませんでした。
だって、CDのほうがよっぽど扱いやすくて便利でしたから。
著作権でがんじがらめに管理された高価なファイルは、魅力がありませんから普及しませんでした。
ネット環境だって整備されてなかったし。
将来的には「著作権保護には適さない」という理由で、業界はCDでの配信から撤退するでしょう。
その上で高くてコピーできないファイルを売るためには、著作権の保護は大事だというコンセンサスを作る必要があるわけです。
でないと、心象が良くないのは目に見えてますからね。
だから「コピーダメダメ!!」と彼等は主張してるんじゃないかな。
高価で不便なファイルを使うのが正しいことだ、法律がそう言っている、という「彼等の常識」を一般常識にしようとしてるんだろうと思います。
彼等の常識は、彼等に左うちわの未来を約束してるのですから。
本当のファンなら欠陥品でも買うのが当然、買わない人間はファンではないという狂信的主張をするファンもいますからね。
それも個人の自由ですが、ちょうどいい鴨です。
逆にいえば、問題があるから買わないという人間は音楽ファンではないというのが音楽業界の常識というわけです。
音楽ファンは全て狂信者になるべきだと彼等は主張してるんですねー。
余計なお世話ですね。
こう考えると、なんでコピーコントロールディスクみたいな欠陥品を売り上げを落としながら売り続けるのか、説明が付く。
コピーコントロールディスクは「コピーはよくない」という広告、ということになりますね。
欠陥品でも気にせず買う顧客であれば、管理された配信への移行もスムーズというわけです。
CCCDでも買ってくれるような客は、将来の彼等の顧客というわけですね。
こうした論理に沿って「著作権教育」が行われるとしたら、、、おー、寒い。
最近、文化庁が導入を前提に検討しているらしい「輸入権」というものは、コピーコントロールディスクのような不良品を売っている企業の独占販売を強化するものです。
CDDAの輸入盤が国内に入ってくるのを差し止めることが出来るようになるのです。
音楽業界はロビー活動に熱心です。
公正取引委員会の委員が個人で運営しているサイトによると、議員さんはころっと騙されてるようです。
多分、裏には行政サイドの小役人と音楽業界の癒着があるのかも、とか疑心暗鬼になります。
権力を持った者が妄想を抱くと手に負えないですね。
まぁ、信用して音楽を任せられる業界であれば、販売を独占されても「しゃーないか」で済むんですけどね。
全く信用ならないとばれちゃってますからね。
そもそも、コピーコントロールディスクってコピーしないとマトモに聴けないじゃん。
そんなわけで、敢えて「コピーの何が悪いの」ということなわけです。
音楽への接し方は自由なんですね。
コピーで済ませる人と買って聴く人の間に不公平があると言いました。
しかしよく考えてみると、どういう不公平なんでしょう。
どちらも、音楽から楽しみを得ています。
音楽から得られるものという視点から見たら、ここには何の不公平もないんですね。
そりゃ、そうです。
不公平は、金に関する部分ですから。
音楽の楽しみと金は本来関係ないものですからね。
だから、著作権法の厳格な適用って、音楽的じゃないんですね。
聴きたい人の耳に届くことや、歌いたい人が歌えることが、むしろ音楽のあるべき本質ですから。
現在の著作権法規は、金に関しての法規だから。
金に関してしかカバーできないのは著作権法の欠陥だと思いますが、でも音楽性なんて漠然としたものについて法制化するのも難しい。
だけど現行法である以上、なんとか運用とかいろいろでつじつま合わせてきたわけです。
だから、著作権法規ってごちゃごちゃしてるんじゃないかな。
法律ってそんなもんか。
つじつま合わせでやっていくことが、情報化社会になって出来なくなったと思います。
名もなき個人が不特定多数に音源を発信したり、企業がユーザーの音楽への接し方を管理することが、可能になったのですから。
著作権法規は著作権者の利害しか想定していない。
だから、ユーザーの権利を言いだしたら、必然的に違法じゃないのかという話に直結しちゃう。
ユーザーの利便性は「違法性がない」という部分でしか考えられないんですね。
一方、著作権者からユーザーへの「違法行為」というのは、存在しないんです。
すごく変です。
再生保証のない不良品が販売されてるのにね。
要するに、法的にはユーザーがメーカーに頭下げる以外ないっていう法律なんですね。
遵法的に抵抗する方法は、買わないで日干しにするしかないと思います。
企業が著作権法規の持つ独占性を押し進め、音楽はただの利権になっていくのでしょうか?
他のシナリオも考えられます。
もっと音楽業界が柔軟で、ユーザーフレンドリーなシステムを採用する可能性もあります。
要するに、アップルや新生ナップスターのような手法で配信を行うようになるかもしれません。
アップルはファイルを販売していますが、手ごろな値段で購入でき、柔軟にコピーを使うことが出来ます。
ナップスターは会費制で聴き放題ですから、欲しいファイルをいつでも入手出来るということになります。
厳格な著作権管理がなくてもユーザーフレンドリーであれば利益を上げてやっていけるだろうということが、証明されつつあります。
アップルみたいなやり方ってつまり「コピーして使いたきゃどうぞ」って言いながら売るってことですね。
なんのことはない。
それってつまり、CDDAみたいなものを売るということです。
CDDAがなぜ普及したかって、何よりユーザーフレンドリーだったから、というのははっきりしてます。
実際、これほどユーザーフレンドリーな音楽メディアってないですよ。
対極にあるのがコピーコントロールディスクで、何しろ聴けなくてもコンポが壊れても放置ですから。
まるでニセクロスジギンポです(註)。
それでもコピーコントロールディスクがそこそこ売れているのは、コピー出来て、それはまともに聴けるから。
それと多分、あんまり繰り返し聴かれてないから。
いい曲だなぁーって繰り返し聴いたら、コンポが壊れますからね。
これでコピーすら出来なくなったら、多分、売り上げはガタ落ちするでしょう。
ダサい話です。
現行の著作権法規がユーザーフレンドリーでない以上、法解釈でどうにかするしかないんですね。
ユーザーフレンドリーでない方法では、音楽文化の発展自体を阻害してしまいます。
たとえそれで音楽業界が一時的に上手い汁を吸ったとしても、パイが小さくなるんだから先細りです。
現在の音楽文化の発展は自由を基盤にしてるのですから。
それは音楽を伝達するインフラ自体がそうでしたし、現在広く聴かれている音楽自体が無言で主張している「哲学」です。
というと語弊があるかな。
少なくとも、現代の大衆音楽ってそういうものですよね。
ネットの転送速度が早くなれば、パーフェクトクローンが可能になる?
そんなことは問題じゃない。
音楽を買うというのは、そういう理屈じゃないんですから。
そもそも、音楽を聴くのにパーフェクトクローンである必要なんてどこにもない。
同時に、パーフェクトクローンでも、コピーはコピーにすぎません。
簡単にコピー出来ると言われながら、何千円もするコンテンツが買われているのは、なぜでしょうか。
そこに音楽を買うということの意味があります。
そのことを無視して議論するのは、音楽を無視した机上の議論にすぎないと思います。
でも、机上の議論しか出来なくて当然かも。
楽しみの量をコピーかどうかで量ることは、そもそも出来ないことですから。
楽しみの量と課金を比例させることはどんなコンテンツだろうと出来ません。
結局、どこまでに支払いの義務を与えるかという判断しか出来ないわけで、それは著作権保持者の自由なんですね。
といいつつ、実際には著作権管理の方法は、非常に限られているわけですが。
日本ではJASRACにお願いしないといけない仕組みに、実質上なっている。
日本でリリースするっていうのは、そういうことです。
どうすればいいんでしょうね。
イギリスでは、現在の著作権法規が定める権利に囚われない方法論を採用するレーベルが生まれました。
コピーやリミックスは自由ですよ、とアナウンスして音楽を売ろうというのです。
まぁ、どう見たって厳格な著作権法規の適用へのアンチテーゼとして生まれたレーベルです。
絶対成功しないという人もいます。
しかし、そもそもCDDAって好きにコピーできたものなんですよ。
それをみんな買っていたし、今も買っているわけです。
CDDAが販売されてる音楽の市場での著作権法規の役割って、そもそもその程度のもんだった。
前述のレーベルはコピーフリーと言ってしまうことでCDDAで売る名目が立ってしまいました。
要するに、現状の著作権法規なんて換骨奪胎しちゃえってことです。
小さなレーベルだから出来る実験でしょうか?
損害を無視出来るかと?
じゃあ、払わないなら聴くなというやり方で損害は?
あ、客足が遠のくだけで損害自体はないのでしたね。
自分がリリースしてる音楽のファンを信頼するとこから始めないと、何も良くならないんじゃないでしょうか。
泥棒と決めつけて不良品を売ることで何を失っているかさえ分かってない企業もあるけど。
ま、そういうアプローチも含めてプロパガンダかもしれませんね。
日本で同様にやるとなると、著作権管理のあり方から考え直さないといけないでしょうが。
日本では実質、JASRACが独占ですからね。
著作権自体がそもそも「独占の権利」であることを考えたら、日本は二重の独占構造になってるってことかも。
しかし逆に考えたら、著作権所有者の考え方と他の管理団体のやり方次第で全く違う著作権管理の方法が見つかる可能性があるわけです。
やり方はひとつじゃないのですから。
個人的な希望であり、予測でもあるのは、そうしたレコード会社がこれから増えていくのではということです。
最初は海外のインディーズから。
いずれはメジャーもそんな感じになるでしょう。
まぁ、コピーフリーとまで言わなくてもいいでしょうし、厳格な著作権の適用を控える企業は今でもあります。
既に昔から、現状でも、ユーザーフレンドリーな企業はあるんですね。
だから、いずれは大きな潮流になるでしょう。
なるよね?
そうならなければ、音楽は閉塞し利権となるでしょう。
そこには自由な音楽はなくなります。
音楽は大企業に管理されるものになり、僕達の音楽生活も管理されるようになるでしょう。
それは音楽自身にとって魂を捨てる自殺行為であり、音楽はそこに収まっていられるほど小さいものじゃないと思うのです。
甘いかね?
もしかしたら、両方の流れが出来るかもしれませんね。
そうなったら、僕が支持し買うのは前者、ということになります。
今困ることは、音楽を囲い込もうとしている企業がユーザー無視、いや、蔑視の所行を行ってることです。
心ある音楽家は、契約が切れたらそういった企業を見限るでしょうから、いずれは音楽を買うのに困ることはなくなります。
今までの音楽環境は墓場になりつつあります。
墓場ではない音楽環境が育まれる状況を、僕達が作っていく必要があると思います。
そんな未来を僕らのものにするには、ユーザーが声を上げていかなくてはならないですね。
受け手であるだけじゃダメな時代になったんでしょうか。
最終的には、著作権法規が音楽家とユーザーを守るものになればいい、と思います。
クリエイティヴ.コモンズとか、叩き台は生まれてるんだしね。
現在の「利害」に由来する喧騒は、法が著作権所有者の利害にしか対応していないことに由来するものだと思います。
法が著作権者とユーザーの両方に目を向けるようになるには、今以上の喧騒を通過する必要があるのかもしれません。
情報化に伴って、これから僕達の生活は大きく変わっていくのでしょう。
僕達が想像しているよりもずっと、大きな変化が起きていくと思います。
変化に対応しながら、それでも失わずに守るべきものがあると思います。
後者の音楽が聴きたくなったらどうするか?
コピーで十分かなぁ(買うだろうけどね)。
そんなわけで、希望も込めて「コピーの何が悪いの」というわけです。
2003.12.29.
註)解説しているサイトを新規ウィンドウで開きます。
措置入院
バブルの頃には、明るい暗いっていう似たような流行が
独占の旨味
油揚をかっさらわれて
まるでニセクロスジギンポ