Mar 16, 2022
コロナ日記 2
前回の日記から1ヶ月が過ぎた。
オミクロン(たぶん)は収束した!!!
長かった、、、
一時はどうなるかと思ったが、対応方法の改善をあれやこれや行って、特に3月に入ってからは新たな発症は全くなくなった。逆に言えば、それまでにうつる人には2月中に全部うつった、ということ。最終的に、うつらなかった患者さんは2割程だ。
それでも経過を見ないといけないので、収束宣言が直ぐには出ない。
医療スタッフはみんな防護服のままで、ゾーニングの解除も出来ないまま、対応継続していた。
最後の患者さんの病状が安定して経過しコロナ対応解除になったのが3月10日。最初の患者さんが出たのが2月11日だったので、きっちり4週間だ。
新たな患者さんが本当に出ないのかを確かめるのに、さらに数日。
その上で、未発症者(病棟の患者さんと職員両方)のPCR。
これで陽性が出なければ、収束宣言、となる。
いや長いよこれは。繰り返しになるけど。
オミクロン株というのは、発症者を2日だったか、動かさずにいたらフロア全体に広まるのは必発ということらしい。
そんな対応は、いつも簡単にできることではない。
うちでも最初の患者さんを検査陽性となったその日のうちに個室対応にしたが、結局は病棟全体に広まってしまった。
一旦広まったら次々に発症者が出るに合わせて治療対応していくしかない。
2月はそれで手いっぱいだった。
しかし、そういう最初の失敗があったので、他の病棟でたまたま新たなコロナ患者さんが出たとき、早急に広範に検査して陽性の患者さんをコロナ対応中の病棟に移動して、おかげでその病棟にはそれ以上には広がらなかった。つまり、経験を生かすことはできたということだ。
最初のうちは、感染対策の専門家から見て問題ないというレベルの感染対策は、やはり出来てなかった。実践がなかったところで机上で勉強したことだけでは、なんやかんやで追い付かないということを痛感した。
例えば防護服を着ての看護で、フェイスガードが凄く曇りやすい、患者さんに点滴するのに手元が見えなくなるので、ついつい無意識に手で触ってしまう。こうなると何のためにガードを付けているのか分からない。こうしたことを防ぐにはどうしたらいいのか。
やってみないと分からないことが、実際にやらないといけなくなってからどんどん出てくる。他にもぽろぽろと盲点があった。
そういう意味で、2月半ば過ぎに自治体の感染対策チームの助言が得られたのは大きかった。ゾーニングの見直しや防護服等の使い方の徹底など、大事なアドバイスを得ることが出来た。このチームのスピード感は凄かった。これは良しこれはダメと、こっちの背骨を叩きなおされた感じがする。
チームはとても忙しくて、休む間がないそうだ。
イレギュラーだったのは、コロナが完治した患者さんを他の病棟に移そうとしたところ、発熱した。移る先の病棟がコロナの再発を心配するので抗原検査をしたところ、陽性が出たので移れなくなってしまった。
発熱は褥瘡の可能性が高いと考えられ、褥瘡治療のために病棟移動を考えていたのだけど。看護師が防護服を着たまま処置を行うのでは、普段は簡単なことが簡単ではないこともあるからだ。
こういうことは、コロナが始まった頃にネットで読んだことがあった。
しかし知識としては曖昧で、今更自分のところで問題になるとは思ってなかった。
保健所に問い合わせたところ、完治して感染性が無くなっていても陽性が出ることはよくあることだそうだ。どの程度の頻度でそうなるのかのデータはないようだ。
だから最近は、完治の確認のためのPCRや抗原検査はしない。いつ陰性になるのかもはっきりしないということらしい。抗原は残ってるけど、ウイルスとしての増殖力や感染性は無くなっていて、再発したり他人にうつすことはない、ということだ。
どうも、こういうのは偽陽性とは言わないようだ。検査自体が間違えているわけではないからかな、、、
いずれにしても、まぎらわしくて困る。
いくら理屈では感染しない、心配ないと言っても、それでも不安になる人はいる。
そんなこんなで、ほとぼりが冷めるまで、その患者さんは病棟を移動できなくなってしまった。幸い、病棟を移らなくても治療ができているので、大事には至ってないのだけど。
しかし、こういうことについて「感染性がない」と保健所が言えるのも、多くのケースがあって知見の蓄積があってのことだと思う。
こうなるまでには、沢山の戸惑いや混乱があって、それを越えてきての現在があるのだ。
コロナが始まって2年になる。
その間にわかったこと、まだわからないことがあって、ウイルスは形を変えていくから、また分からないことも出てくるが、それでも人間側も知識や対抗する技術を蓄積して、そうしていくうちに、コロナが日常の病気として定着していくのだろう。いわゆるウィズコロナとかいうやつだ。
そのあたりを、とても丁寧に書いた記事があったので、下に揚げておく。コロナがない生活には戻れない。コロナとの戦いがどのようにして日常になるのか、ということだ。
BuzzFeed
「新型コロナの方がインフルエンザより致死率は高そう」 そもそも比べられない2つの感染症を無理やり比べる理由
https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/covid-19-influenza-suzuki
そんなこんなで、なんとか収束に漕ぎ着けた。
とりあえず、よかった、、、
そういうわけで、自宅での子供部屋への隔離生活は終了となる。
変化があったら何か書くつもりだったが、始めたときから大きな変化はない。
いちいち石けんで手洗いは面倒なので、アルコール消毒に置き換えたことと、3月に入ってからはN95マスクを止めて不織布マスクにしたぐらいだ。
マスクを替えたのは、2月末の無症状の人全員のPCRで僕が陰性になったからというのと、病棟で新たな陽性者が出なくなったのが大きいかな。病棟での運用で、リスクが大きい処置の時以外は不織布マスクでいいということになったので、それに準じたという形。但しマスクは間違った使い方をしないことが大事だ。N95は正しく装着したらかなり息苦しいので、感染リスクが少ない状況なら不織布マスクの方が仕事しやすくて負担や疲労が少ない。
実際、替えてからの方がうちでも過ごしやすくなっている。
なんのかんので気を紛らわせてはいたけど、家族と顔を合わせない生活は、やっぱり何となく味気ない。つまらない。
僕なんかは1か月ぐらいのもんだけど、コロナ治療専門の病棟では、こういうのがずっと続く人もいるのだ。ストレスが溜まってというのは分かる気がした。
オーディオは結局、ヘッドホンでは飽き足らず、アンプと小さなスピーカーを持ち込んで鳴らしていた。
アンプはTU-870、スピーカーはステレオ誌企画のフルレンジで型番は不明だ。
アンプの上流は以前と変わらず、Daphileをストリーミングオーディオサーバーにして、Raspberry pi 3b+、piCorePlayerからUSB出力、USB DACにRal-24192ut1を充てている。
音源はDeezer、Spotify、あとYoutubeなど。半分以上はポップミュージックを聞くようになった。クラシックもそんなに悪くはないのだけど。あと、ウクライナの戦争関連でYoutube動画の音声を鳴らしたりしている。
以前、音質が悪かったら僕は何を聴くんだろうかと書いたことがあるんだけど、こういう状況で試すことになった。
僕にはスピーカーから音が出る環境が必要だと分かった。
オーディオ的に十分にハイファイでなくても、ないよりはあるほうがいいようなのである。
無論、より良い音質で聴きたいというのはあるのだが、ないならないで、なんとかしようとするようなのだ。
そして音源は、以前に聴いたことがあるものよりも、新しい音源を選ぶ。
聴いたことがあって気に入っている音源を聴くということもあるのだけど、圧倒的に新しい音源を漁っていることが多い。そして気に入った音源は、プレイリストに入れたりお気に入りに登録したりしている。買えるだけCDを買っていた昔と同じである。結局、そういう聴き方が性に合っているのだろう。
聴くジャンルは、音質に合わせるようだ、、、
合わない音源は聴かなくなる。うちのフルレンジで特に合わないと思ったのは、バロック時代の管弦楽だ。とてもうるさい。意外に古典派以降の交響曲は違和感なく聞ける。細かい音の情報はつぶれてしまって、うるさい音として耳に届くことがないのだ。
あとはポップミュージック、ジャズなど。
何しろ、鳴らしてみて気持ち良くないと思ったら次の音源に行く、そういう聴き方だ。
昔、ロックにばっかり聴いていたのは、むしろそういう音質のコンポだったからというのも、あったのかもしれない。
小学生の頃はむしろクラシックの交響曲が好きだったのだ。それも考えてみたら、自宅で聞くより小学校の音楽室で聴くのが好きだった。当時にしては音響に配慮した作りの音楽室で、相応のオーディオコンポーネントが用意されていた。
家のラジカセでは、むしろ軽音楽、そこからニューミュージック、ロックに移行した。当時から音質に合わせて嗜好が変化していたというのは理屈に合っている、、、
しかし、そういうのもとりあえず終わりだ。
またコロナがうちの職場に入ってこないことを祈るけど、ないとは限らない。コロナだから。
でも、本当に入って来ないで欲しいと思っている。
そういうわけで、コロナ日記はここまで。
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