Oct 04, 2007

改めて、CCCDから今まで

今更ではあるけど、津田氏のブログから引用。
私的録音録画小委員会の議論がほぼ決着しました(音楽配信メモ)

俺は前に書いたことの繰り返しになるけどDRM厳しくなって人々がコンテンツに興味失っちゃうような世の中にはしたくないので、そうではない方向で権利者も利用者も納得できるような落としどころを探る努力は必要だろうと思ってるわけです。「別にいいよ。買わなくなるだけだから」って人は、豊かなコンテンツ状況がなくても生きていける人だろうけど、俺はそういう世の中は寂しいし殺伐としてしまうだろうし、ネット的だったり、商業世界とは違うところで生まれるコンテンツには限界もあると思っているので、もうちょっと良いやり方はないものかな、と思っているわけですね。

僕は以前のエントリーでDRMにも補償金にも反対、と書きました。
DRM、そんなに要るなら勝手にかけろ。不買してやるから。と書いたのは私です。

実はあのとき、どう考えるべきなのか迷いがなかったというと、嘘になる。
結局、本能のままに書いた。
これは、後付けの理由付けのエントリーです。
妄想的なので、すまない。

「DRM厳しくなって人々がコンテンツに興味失っちゃうような世の中にはしたくない」という津田氏のコメントには、あのCCCDに対して不買運動をした者として、複雑な思いがあります。

CCCDの騒ぎの中で、本来だったら得られたはずの評価が得られなかった作品がある、というのは1音楽ファンとしても感じていたし、歯がゆい思いもした。音楽業界の中にいて、僕なんかより一層それを強く感じた人はいただろう。
CCCDを不買したとき、好きで不買と言ったわけじゃなかった。
買いたい作品はいくらもあった。
でも、再生に不具合があるのは知っている、ユーザーには御理解いただきたい、とまで言われて買うのには納得しようがなかった。

あの頃は、本当に寂しくて殺伐としていた。
はっきり言って楽な戦いじゃなかったんだよね、「CCCD不買」って。
ホント、あれはなくなってくれて良かった。

そして輸入権法制化のときの国会では、役人と著作権権利者主導でペテンが行われるのを目にした。
まぁ、国会とかに限らず世の中なんていつもペテンが横行してるのに今更カマトトぶるなと言われたら、大人になり切るのは大変ですねとしか言いようはないが、実際、そんな大人になる必要があるのかねと思ったり。関係者じゃないから言えるのかもしれないが。

でも、輸入権は全く効いてないらしいが。
J-POPはアジアで売れなくなっている(Copy & Copyright Diary)
あれだけ苦労したんだから、ちゃんとアジアで売れっていう。
多少なりとも潤えば、日本国内の状況も変わるだろうに、とか思っていたらこんな話も。
なぜJ-POPはアジアで売れていないんだろう?/ああ、「やっぱり駄目だった」って感じなのかも。(万来堂日記2nd)
きつい話だなぁ。
力の入れどころを間違って、今も間違えつづけているとしか思えない。

話を戻す。

また音楽を取り巻く状況があんなことになるようなことは避けたい、という考えは理解できる。

実際、レコード会社に蓄積されている文化的資産って代え難い部分もあるんじゃないかと思いますし。業界が潰れてしまってからでは取り返しがつかないものも多々あるだろう、と。
資本や人材を投下することでしか生まれ得ない作品もあると思うから。
そういう作品が今後は聴けなくなるのは文化的には損失。

補償金オーケイ、ただしDRM無しを保証してね、という案。
僕としては、津田氏が委員会の場で案として提案する分には全く問題は感じていなかった。
補償金もDRMも無しというのがユーザーにとってベストというのは分かり切っていることで、そこからどこまで歩み寄れるのかということになるだろうから。しかもダウンロード違法化も絡んでいたわけだから。

でも僕のような末端にいる者が言うことは他にあるだろう、というのがあって。
僕の本音は、補償金反対、DRMも反対。
だったら、そう言うしかない。
しかも「ダウンロード違法化/iPodの補償金対象化」がほぼ決定、とあっては、なおのこと。

補償金をDRM排除の担保に、という考え方だけど、音楽業界の文化的資産、特に人材やスタジオといった代え難いものを保護するために補償金を使う、ということなら受け入れやすかったかもしれない、と個人的には思う。
しかしそういったアイデアは具体的にどう資金を運用するのかという時点で壁にあたると思われるし、現場に資金が下りるというよりも、どこか関係ないところで使われてしまう可能性を危惧してしまう。

補償金オーケイただしDRM無し保証案は、何より現実に、権利者団体側、行政サイドに、そういう考えに耳を傾けようという姿勢が微塵もなかった以上、結果論だけど、難しかったんだなと思う。
ITmediaの記事には「DRMと契約をうまく組み合わせれば、補償金制度が不要になる可能性がある——という意見も盛り込まれた。DRMと補償金制度の併存も可能性として挙げ、DRMの影響を補償金額に反映させるなど、状況に応じて補償金額を調整していくことなども記載された。」とある。

さらに個人的に考えたこと。
今の状況は、どうやったって殺伐とせざるを得ないんじゃないか、と。

だって権利者は、とんでもなく頭が固い。時代に逆行することが「文化的に正しいことだ」と思っている、本気で。
世界はどんどん先に行く。
僕らは権利者が心変わりするのを待っては居られない。

権利者が僕らを放っておいてくれないなら、対立せざるを得ない。

音楽制作に必要な人材や資産は音楽業界が持っているという現実。
音楽業界が潤わなければ、そこにいる人材も潤わないという状況。
にも関わらず、業界のトップに時代を読んで困難な状況を舵取りする器量を期待することは全く出来ない。しかも国を挙げて出来ない。

個人的妄想だが、日本の著作権業界は、著作権を巡る乱世を生き抜くことが出来ないだろう。自滅の道を辿るだろう。
そして、貴重な人材の業界からの流出は止めようがないだろう。
受け皿はどこにあるのだろうか。

つまり、今は乱世で。
だから今まで当たり前だった「豊穣」を守る事自体が、悲しいけど期待できない。
乱世とはそういうもんだと思うし、僕は1音楽ファンとして現在の音楽シーンを見て乱世のシーンだな、貧しいなと感じている。
いつからなのかは分からないけど。

過去の音楽文化の豊穣が、今後に継承されるのかどうかは、わからない。
多少のお金や、業界への支援があればなんとかなるのか、というと、分からない。
国や業界トップの意識が大事だとも思うけど、、、僕は期待はしない。

そうなってくると、むしろ個々のミュージシャンや音楽関係者が、どこまで今までの業界の枠に縛られずに活動していくことが出来るか、この時代を乗り切ることが出来るか、に左右されるんじゃないかと思っている。そこに幾ばくかの継承があるだろうと。

今、現れてきているのは、過去の「豊かな時代の豊穣」とは違う多様性だと思うのだけど。
そして乱世が過ぎたら、多様性の中から新たな豊かさが生まれるはずだと思う。

そんな時に、著作権権利者は、法をもって、現在の多様性を潰しにかかっている。
彼らは自覚していないかも知れないけど、時代遅れな考え方、過去の遺産、現在のクリエーター・ユーザー、そして未来もろともに、心中するつもりでいる、としか思えない。

日本の末端のユーザー・クリエーターのバイタリティの受け皿は、著作権保護強化によって失われていく。
末端のクリエーターは、ガンガン初音ミクで音源つくってニコニコ動画にアップしている。
あそこには、どれだけ僕たちが「飢えているか」が現れている。

だから、寝ぼけ眼の国や自暴自棄な権利者団体に対して、駄目出ししてやる必要がある。
訳分かってない連中に「目を覚ませ、さもなくば邪魔者は去れ」と。
ダウンロードの違法化なんて法律になってしまった後でひっくり返すのは大変なことだから。
この際、あちこちで殺伐するのもやむを得ないと思っています。

Posted at 10:03 in NoCCCD | WriteBacks (0) | Edit
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