Jan 07, 2008
ミクが自由に歌えるように
更新滞りまくっている。
まったく、去年の文化庁の言い分には全くあきれるのを通り越して疲れたよ。霞ヶ関の官僚が優秀だと言うのは嘘だね。いや、ちょっと特殊な能力が高くないと、あれはやれないと思う。
風邪引いてしんどくて、治るのに今までかかってしまった、つうか、まだ動くとダルいが。
今年の風邪は長いねえ。寒いので皆様ご自愛を。
なんか、久しぶりに書いたら長々だらだらした文になった。
さて。
初音ミク熱は収まる気配がない。リン・レンもなかなか良さそうな感じらしいし。
こんな楽しいムーブメントを日本国内で留めておくのはもったいない。
外国語でも歌えるようにならないかな。多分、初めての日本発の世界的ポップミュージックムーブメントになるよ。
英語のマニュアルつけたら海外でも売れるんじゃないか?
今にして思えばRadioheadのin rainbowsに間に合わなかったのは残念だった。
と思ってたら、英語は苦手なんだね。
初音ミク 英語の発音を何とかしたい(ニコニコ動画(RC2))
ミク以外に外国語で歌えるボーカロイドはあるようだけど、どうなんかなー。
とりあえずミク関連年末のごたごたをメモでリンク。
「みくみく」JASRAC登録で「手違い」 ドワンゴ・ミュージックが謝罪、ドワンゴ、「アーティスト名:初音ミク」のJASRAC登録で「クリプトンと協議中」、「初音ミク作品」契約をめぐりドワンゴ・クリプトンが説明、「初音ミク作品」騒動、ドワンゴとクリプトンが“和解”コメント、News Weekly Access Top10「初音ミク作品」騒動から考える、「次の著作権のかたち」(ITmedia News)
ドワンゴ・ミュージック、「みくみく」のJASRAC登録について経緯を説明、「みくみく」JASRAC登録問題で、クリプトンとドワンゴの双方がコメント、ドワンゴとクリプトンが「初音ミク」で協業へ、共同コメント発表(internet watch)
着うた配信の経緯、着うた配信の経緯(2)、着うた配信及び今後の協業に関する共同コメント(メディアファージ事業部 ブログ)
クリプトン社の謝罪に対するコメント、着うた配信及び今後の協業に関する共同コメント(ニコニコニュース)
職人さんの権利関係まとめwiki(RC)[旧・みくみく登録問題まとめ] - トップページ
この件についてはいろいろ考えさせられた。ネット上では、そもそも何でミクでボーカロイドなのかというとこまで話は広がった。
引用しつつリンク。
何かというと、初音ミクは旧来メディアやJASRACといった権利者および権利者代行団体に対するアンチテーゼシンボルとして祭られて来ていたのだ。
これまでに「初音ミクとニコニコでCGMが花開く」という言葉がどれくらい記事の上に舞ったことか。ジャンヌ・ダルクは捕らえられたのか(rerofumiのつぶやき)
また、関係者がダメージコントロールに成功したとしても、「みっくみく〜」がJASRACに登録されるという事実は当面動かないので、この曲の再利用が漠然とリスキーになった事に変わりはない。ひょっとしたら何も起きないかもしれないが、自分が一匹目の羊になりたいと思う奴はいない
ニコ動 vs クリプトン 第2回戦(Usada’s Backyard)
実際、初音ミク ブログパーツ・フルみっく伝染歌プレーヤーからは「みっくみく〜」が消えた。
このプレーヤー好きなんだけどねー。
集まってる曲は凄くポテンシャルが高い。熱くて伝達力つうかエネルギーが大きい。すばらしすぎる。
翻って、音楽業界に同レベルの曲を作る能力がないとは思えないのに、なんで活気がないんだろう。というか、なんで業界の提供する音楽になんで熱くなれないんだろうというのがある。
え? そりゃそうだろうって? まあねぇ、、、
音楽配信メモのエントリーを引用。
いや、年末に昨年購入したCDって何枚あったかなーと思って数を確認したんだけど、50枚弱くらいしかなかったんだよね。18くらいからずっと年間100枚切るなんてことはなかったんだけど、自分の中で音楽に純粋に向き合えなくなってプライオリティーが落ちていることがこういう客観的な数字として出てくるのはいろいろ考えますよ。なんか、ホントにCD買えなくなった。
あけましておめでとうございます(音楽配信メモ)
50枚なんて、僕より少ない。うーん、、、
かくいう僕も、減ってるんですね。特に邦楽が少ない。
物理的にスペースがないというのが大きな理由で、極力ディスク買いは減らしてネット配信利用に意図的に傾けている私です。iTSでの購入はかなり増えた。
しかしCharaとかiTSで買ったのにディスクで欲しくて買ったのとかある。そういえばiTSで知ってディスクを買うというパターンはけっこうあったな、、、
まだ、iTSにない作品は多いので、どうしてもCDDAを買ってしまうことに。
それでも減ってる。
なんか、盛り上がりに欠けるんですね。熱くなれない。
ときどきスペースシャワーTVとかぼーっとながしてるの見たら、作品としてのクオリティは低くはないように思うんですけどね。
音楽ビジネスはもともと純粋な音楽ファンを相手にした商売ではなかった。
それよりも、音楽自体に対する関心の強弱とは関係なく、音楽を媒介にしたコミュニケーションに興味ある一般層がターゲットだった。「終わりの始まり」—— 音楽業界の2007年と2008年(くだらない踊り方)
物心ついた頃から僕の音楽的志向は、たまたまか必然か、たいていは周囲の志向とは相容れないもので、関係性を築くために聴くというのは全く選択肢になかったんですねー。
音楽を全く個人的な行為として楽しむ僕のようなのは、基本的には音楽業界の「メインの顧客」ではなかったかもしれませんが、コンスタントに何かを買っていく「上客」ではあったと思うんですね。
基本的に万引きとかしないしね。
CCCDだとか、そういう客をないがしろにすることを繰り返してきたら、熱も冷めようというものか。
ないがしろにするつもりはなくとも、著作権の窮屈さというのは本当に息が詰まる。
本当は、音楽ファンはそういうのに気付かずに楽しめる方が幸せ。
でも、寝た子は叩き起こされてしまって、今や寝付くすべも忘れてしまった。
そういう人間には、ミクの歌声はとてもピュアで汚れなきもののように聞こえる、のか?
この騒動の背景には、コミケットや2ちゃんねるといったオープンソース主義のアマチュア文化と、クリエーターをネタに儲けようと考える資本主義の対立という構図が見えるんだが、今回はドワンゴだけが資本主義社会を生きていて、クリプトンをはじめとして他の連中がみんな、プロかアマかを問わず、オープンソースをベースとするアマチュア文化を生きているという、そもそも「生きる世界が違う」という問題があるわけだな。
初音ミクはオレのモノ(ネットゲリラ)
しかし今や、ニコニコ動画のように、才能と大衆が勝手に集まってきて音プロもJASRACもなしで楽しく遊ぶ場が動き出してしまった。
もちろん、ヒット曲には対価が必要だろう。カラオケ配信で儲けたっていい。そこにJASRACが入ったってまあ良し。
でも、そこだけにしといてもらいたいというのが、多くの人の感じるところじゃないだろうか。ネット配信の制限だの、マッシュアップが著作権侵害だの、JASRAC余計なことしてくれるな、ということだろう。それでも、私は今回のドワンゴ、クリプトン間の合意の文面で、エイベックス流の「原盤権よこせ」ではなく、「音楽データ(原盤)に関する権利は、「初音ミク」ソフトウエアの使用許諾契約書の諸条件のもと、音楽データ(原盤)の制作者が保有することを確認」と、はっきり原盤権がそれぞれの作者にあることが明記されたことは大きな意味があると考える。
初音ミクのオリジナル曲の場合、作者が作詞作曲から、最終的にリスナーの耳に届く音データに至るまでを制作している。音プロがレコードを企画して、歌手が乗っかるだけというのとは根本的に事情が異なる。
自分の曲をどうネットで配信すべきかは、レコード会社が決めることではない。
それぞれの作者が、自分の保有する原盤権に基づいて決めるべきことだろう。初音ミクと原盤権(松浦晋也のL/D)
でも前述の通り、ブログパーツからは「みっくみく」は消えてるわけで。
皆が納得しているのならいい。カラオケで歌えるというのはすごいことだしね。
ただ、カラオケで歌えて、なおかつネット上で自由に使えるなら、もっと良いのになあ、とか思う。こんなこと考える僕の方が悪いのかも知れないが。
こんなのがあった。
JASRACへの信託話([電波とどいた?])
引用。
E-licenseが、 今年の4月からカラオケの信託を受け付けてるのに気づきました。
問題はカラオケに関して委託するとき、同時にその他での利用の決定について、どの程度の自由度を著作権者が持ちうるのかってとこですけど。管理委託契約約款は今年の1月1日にも若干変更されてますが、ざっと読んだだけではよくわからない、、。
自分の作品を自分のサイトで配信する場合はどうなりますか?(e-license::作品使用について)
著作権管理団体に登録していない作品であれば自由に無料で配信することができます。
しかし、第三者に無断で使用させないためには、著作権管理団体に作品を登録し著作権を守ることが必要になります。
e-Licenseは“使用料の上限設定”という新たな仕組みを採用し、 自分の作品を自分のサイトで配信するケースになど個別のケースに応じて柔軟な対応を可能にしています。e-Licenseの使用料率は、どうなっていますか?(e-license::e-License との契約について)
上限設定とは、利用者からの申請があった場合、利用料規程通りの料率であれば自動的に利用が許諾され、規程より低い料率で利用申請があった場合には、権利者へ確認を行い、同意が受けられれば利用を許諾するといったものです。
ただし、第3者からの申請であり、権利者にとって明確にメリットのある場合に限ります。
どうなんだ?
これって、カラオケに関してだけ登録して、ネット配信では登録しない(自由に無料で配信状態)っていうのは、可能なのか?
我ながら初心者ですね、、。
えーと。話はいきなり変わる。たまたま目にした周辺雑事。
初音ミク・エクスプロイテーション:第一期ブームの終焉がなんとなく見えてきたと思う(what's my scene? ver.7.2)
エロですか。まあ、そっちからは来るような気はしていたけど。
でも実写なんですなあ。そういう使い方?、、、
まあ、それってミクじゃない気がする、とか言って。
なんというか、ミクの持ち味・強さって匿名性だと思うので。なんたって楽器なんだから。ストーリー性とか共感とか欲望惹起するキャラクター添えてみたりとか、これまでのコンテンツビジネスに利用されていた付加価値は、かえって異物だと思う。
むしろ、作り込んだもののほうが、逆に淘汰されちゃうんじゃないかな、、。
あと、こんなことも。
柊巫女初詣祭(らき☆すた)・ネギ畑で捕まえて!(初音ミク)(Get The World!(夢彗星) まとめ@Wiki )
伝説の青龍刀系同人誌即売会、川崎に降臨!!(STRIKE HOLE)
いろんな騒動があるもんですねー。
昨年12月頃に考えてたこと。
初音ミクのわくわく感、楽しさというのは何だろうと。
こういう感覚って昔味わったことがあったかなあ、何だろうと思っていたんだけど。
僕がリアルタイムで体験したポップミュージックのムーブメントといえば、まずインディーズブームからバンドブームにかけての日本のポップミュージックシーンの盛り上がり。
最近は、自分の音楽の聞き方もシーンの中で盛り上がってというよりは、珍しいものを追っかけていくという感じになっていってました。オーディオが良くなったのをいいことに、ジャズ・クラシックに守備範囲を広げ、ポップミュージックはロックからレゲエ、ハワイアン、ボサノバ、ラテンミュージックへと流れ。
もちろんそういうのを聴くのって楽しいんだけどさ。
でもやっぱりインディーズブームは楽しかったなあ。
周り誰も聴いてないから一人で聴いてるんだけどさ。
20年も前になろうか。
当時は、インディーズからメジャーに行くことに抵抗感を示すファン心理というのがあったという。今もあるのかな。
僕は地方のファンでメディアを通じて触れていたせいか、全くピンとこなかった。
しかし都会で直にミュージシャンに接していたファンからしたら、遠くに行ってしまうというのは現実的な問題としてあったんだろうな。
そしてミュージシャンにとっては、契約・著作権で縛られるというのは大きな環境変化だっただろうと、今になって思う。
地方在住の子供には分からなかったけどね。
えーと。
数年前に局地的なムーブメントで中原小麦ちゃんがいた。
ネット展開するバーチャルアイドルというのは既に珍しくもなかったけど、小麦はかなり多くのファンを巻き込んだように思う。僕も一時巻き込まれていた。
2ちゃんねるというネット文化の日陰部分(当時)を前面に出して肯定したというのも面白かったし、中の人の才能もありーの、権利者サイドが二次創作に比較的寛容だったのも相まって、あれはなかなか楽しかった。ネットラジオ、インターネットが原動力になったという点でも新しかったんじゃないかな。
でもそんなムーブメントの中で、やっぱり「著作権」というものはそこかしこで障壁と言いますか、権利者とユーザーの間に壁として見え隠れしていたと思う。小麦ちゃんの場合、権利者とユーザーが近いにも関わらず、いや、近いが故というべきか、ちょっとデリケートな部分としてありました。
中原小麦はバーテャルアイドルだったが、中の人がいることは自明でそれコミでのムーブメントだった。というか、ファンと中の人とスタッフがいっしょに中原小麦を持ち上げていたというのかな、そういう構図だったと思う。
桃井はる子がいたからこそ、あれは可能だったんだろうと思う反面、それが中原小麦の限界だったとも思う。
で、初音ミクですが、やっぱり最初に思い付いたのは中原小麦との類似性だった。ネットアイドルだしね。
でもミクには中の人がいない。ミクが歌った作品にミクの著作権は生じない。
記憶の彼方なので正確でないかも知れないが、昔、シンガーソングライターについて「自分で下手な歌を歌うよりもうまい歌手に歌わせた方がいいのに」という話があった。それに対して「自分が歌うことで自分の歌になる。他人が歌ったら他人の歌だ」という反論があった。
楽曲に対する歌手の支配力というのは大きいのだ。
歌手のパーソナリティが歌に反映される。歌に説得力を与えるという考え方。
現在のポップミュージックシーンでは自作自演が主流だけど、その理由は著作権云々ということと同時に、そういうこともあるわけで、というか、歌にパフォーマーの「商品価値」を付加して売るということが、ずっとポップミュージックシーンでは行われてきてたわけで。
一方、匿名性ということが強く言われるシーンもある。テクノとか。
それはこうした「人格」を「商品価値」として売るシーンに対しての反動という面があったと思う。テクノでボーカルが前面に出ることが少ないのは、歌手のパーソナリティーが、場合によっては存在するだけでも、匿名性を妨げることがあるからだろう。そこに多くの物語、感情が宿るからだ。
と思うのだけどどうだろう。
ミクのムーブメントは、中の人なしで、ユーザーが皆でミクを持ち上げている。
うざったい業界著作権団体の思惑とか、歌手のパーソナリティに左右されない。
ミクは完全なユーザーの音楽の依り代として機能している。
ミクがヤマハのシンセをモチーフにした姿をしているのはだてではない、彼女は楽器であって、歌手ではない。生身の人間が背負ったしがらみや物語からは無縁だ。だから何でも歌える。
匿名性の極致であり、同時に姿形を与えられたイコンでもある。
あの姿が与えられたというのも何かの巡り合わせなんだろうな。面白いところだ。
で、何のイコンかって、やっぱり、自由な音楽そのもののイコンってことになるだろう、僕にとっては。
あのJASRAC登録のゴタゴタがあって以降も、そういう印象は変わらない。
多分、無名のクリエーターが作品を作り続けている限り、僕にとってボーカロイドはそういうものなんだろう。
昔の音楽シーンは自由だった気がしたんだよね。
だから多分、楽しかったのかなと思う。
音楽業界が、自由で楽しい音楽を売ることが出来なくなって。
多分その空気って、ダウンロード違法化がどうとか、そういう世界の窮屈さをもろに被ってるからだと思う。
音楽業界はかわいそうですね。
ミクはin rainbowsに間に合わなかったとか最初に書いたが、日本特有の事情で局地的なムーブメントなんだろうか。海外でも著作権がらみの音楽事情は厳しいから、ニーズはあるかもしれないとか思いますけどね。
霞が関はダウンロード違法化とかいってますが、ミクが自由に歌えるネット環境は何としても維持したいと思っています。
将来はミクに適法マーク?、、、似合わないと思います。
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