Oct 10, 2008
僕らは権力にならない
パブコメです。
パブリックコメント - Copy & Copyright Diary
orphan works, リバースエンジニアリング等に関するパブリックコメント募集 - ものがたり
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さて。
「第5権力」としてのウェブ(池田信夫の「サイバーリバタリアン」ASCII.jp)
総務省の「デジタル・コンテンツの流通の促進等に関する検討委員会(デジコン委員会)」は9月26日、地上デジタル放送のB-CASを見直すことを決めた。6月にまとめられた第5次答申では「消費者や権利者の立場からB-CASについてさまざまな指摘が行なわれた」ことを理由に廃止の方向を打ち出している。放送局も反対していないので、B-CASの廃止が事実上決まった。
メディアは「第4権力」と呼ばれ、国家権力を監視する役割を果たすことになっている。しかしメディアを監視する機関はないので、彼らはその権力を使って業界の既得権を守ろうとする。特に日本ではテレビと新聞が系列関係になり、しかも各系列が横並びで報道管制して、電波利権や新聞の再販制度などの談合構造を守ってきた。
しかしウェブは、こうしたメディアの情報独占に風穴を開け始めている。インターネットは、その生い立ちからユーザーによるユーザーのためのネットワークである。それは誰にも批判されないというメディアの特権を奪い、彼らの業界のタブーについても多くの消費者が追及する「第5権力」になろうとしているのかもしれない。
しかし、そもそも権力などという言い方、ネットには似合わない。
ネットは開かれたストリートだ。
だからこそ、リアルで血の通った言論が息づくことが出来ている。
そんな言論だからこそ意味があり、そこに共感する人が多かったからこそ行政を動かすだけの力を持てたと思う。
不特定多数の無名の者が第5の権力?
ナンセンスだ。
力は、何らかの主体が意図して行使しなければ始まらない。
そもそも輸入権のときは、ネットの声を吸い上げて動いた有志の努力があったから政治が動いたんだ。
今も、そういう人がいるから政治に声が届いているに過ぎない。
そういう人がいなくなったら、そうした「力」は行き場を失うだろう。
僕らには何の権力もない。
僕は権力など欲しくない。ふつうの人権さえあればいい。
ネットの言論は、ふつうの人権を下敷きにしたものにすぎないし、僕はそんなものであるべきだと思っている。
ストリートの言論とはそういうものだと思う。
ストリートの声を政治に届けるかどうかは、別の問題。
今はそれが必要と感じる状況だから、僕はパブコメも書く。
既得権益に縛られ言うべきことも言えないマスコミの死にかけた論調が、ネット言論に太刀打ちできないのは当たり前のこと。彼らが言えない「言うべきこと」について、ネット言論は語るのだから。
僕らは大事なことについて知りたいし語りたい。
マスコミの情報だけでは、大事なことを見失う。
ネットの言論がこれだけクローズアップされるのは、あまりにもマスコミがだらしないからだ。
第4の権力?
権力というのはいずれ腐るというけど、、。
ネットはストリートであり続ける限り、腐ることはない。
有象無象が跋扈するけどね。デマにも左右されやすいけどね。
そのへん、いかにきれいなストリートにするかということが、青少年へのネット規制をどうするかってことで語られてるんだと思うんだけども。
えーと。
ネットを第5権力というなれば、どう考えればいいか。
いくばくかのネット上の主体者が、多数の無名のネットユーザーに情報を提供して、既成権力や問題のある業界や企業を監視する行動を取らせれば良い。
それは電凸かもしれないし、パブコメかもしれない。
そうなったらネット上の主体者が権力を持つってことになるのかな。
主体者は、情報提供の信憑性を高めるために、匿名ではまずいかもしれない。
不特定無名の者の声は場合によってはノイズになることもあるかもしれない。
そんなこと考える人もいるかもね。
穿った見方だ。
僕は、ネット上で一定の匿名性については確保すべきという考えで。実名にして責任ある意見だけにしようという考えは、ストリートとしてのネットにはそぐわない。アカデミズムを重視した考えであって、そういう場があってもいいと思うけど、今のネットの持っている役割を考えると、その役割を果たせなくなると思われるので反対。今のネットの役割とは、無名の人間による言論のために必要な場、マスコミに期待できない生きるための情報を得るために必要な場、ということです。
選民性の強化はストリート性の排除につながる。
誰が言ったかじゃなくて何を言ってるかが大事、というのは基本だと思っています。
話を戻して。
僕の知る限り、特定企業や団体への電凸の場合、特定できる情報提供者ではなく不特定多数無名者の声に導かれてネット言論は動いてる。
かたや、著作権やネットの方向性に関してはMIAUやThinkCなど声を集める場所がある。これは2004年の輸入権以降の経緯で生まれたもので「政治的な力」を発信していく基地としての期待、実績がある。
で、そういうのってネット言論としてはレアケースなんですね。
食品衛生とか医療介護関係とか、多くの分野で同様の基地が生まれるべきなんでしょう、ネット第5権力活性化のためには。
え?今の電凸でいいじゃんって?
そこはどうなんかなあ。
MIAUは比較的ユーザー寄りの活動を行っていると思うので僕は期待もしています。
でも、もしもネット世論を偏った方向に誘導しようとするような団体が出てくるようなことになると、そしてそこが情報を独占するとかなったら、、
いやですね。
今のマスコミと変わらないようなものがネット言論上に出来てしまう。
そんなんだったら2ちゃんねるのほうがいい。
たいした結論がない。
いつものことか。
なんというか、今のネットは粗暴な力をたたえているとは思いますが、統制のとれたコントロールが出来なくて、権力というにはゲリラ的すぎる気がします。
良くも悪くも。
そして、下手に権力になる必要もないとも思います。
なるなら巧くやらないと、既存の市民団体に毛が生えたのみたくなっても意味ないような気がします。
開かれた自由さ故の活力がネットの身上で、旧来の閉じたやりかたはネットでやる意味があまりない。
第4の権力というのが気になって。
ちょこっと検索したらこんなん出た。
「第四の権力」という誤訳がマスコミとマスコミ批判者を誤解させている件について(←こういうのサイテー) - 愛・蔵太のもう少し調べて書きたい日記
おそまきながらEPIC2014について〜「第四の権力」についての誤解 - 【海難記】 Wrecked on the Sea
aku1009 「第4番目の権力」に成り下がった「メディア」との甚だしき誤解に基く岩波書店全4冊仰天早仕事
第4がこれだから、第5の権力と言っても実態ない感じがするのは当然かも、か。
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