Nov 08, 2020
音楽ストリーミングを使い始めて思ったこと
今回は、時代の変化に付いていけない人間が違和感について書いている。
久しぶりにNoCCCDのカテゴリーでアップしたのは、ここにアップするのが相応しかろうと思ったからだ。
まず、気楽な話から。
ストリーミングサービスだとライブラリが作りにくいということ。
ストリーミング再生では、画面に表示されているものから選択するか、自分の意識に上がっている選択肢を検索して聴くことになる。
新しい音源を探して直ぐ聴く分には便利至極だ。そして気に入った音源があれば、それを「お気に入り」に登録することでライブラリ化することはできる。
だけど、本格的で使い易いライブラリとして構築するのは根気がいるし複雑な作業で難しい。
今現在、そういう作業を進めているんだけど、先が長そうで途方に暮れる。
なんというか、ただ詰め込んだだけでは日常的に音楽に接する使用に適した音楽用ライブラリにはならない感じがする。
そういうことしてる人って、どのぐらい居るんだろうか。
スマートフォンで流行を囓るように聴いて、忘れてしまっていいのなら、ライブラリなんて要らないけど。
こっちは衰えつつある記憶力を補完してくれるライブラリが欲しいのだ。
以下、一般的ユーザーを想定して考えてみる。自分はちょっと一般的じゃないから。
ライブラリが欲しいと思ったら、どうするか。
スマートフォンの画面で構築するか。
お気に入り頼りのライブラリは、ないよりはずっといい。記憶頼りの補完にはなるけど、画面が小さすぎるのがちょっと辛い。
音源をダウンロードしたらライブラリになる?
ストリーミング音源のダウンロードは、基本的にライブラリ構築のためではなく、電波状況が悪いところでの使用などを想定している。micro SDカードの容量こそずいぶん増えているが、何時壊れたり紛失するか分からないし、やはり機械の操作画面が小さすぎて、扱いが難しい。
じゃあ、パソコンで使うのか。うちでの基本的な使い方だが。
操作画面は大きくなるが。
しかし画面が大きいから快適かといえばそうでもない。Web経由だからかどうか分からないけど反応や動作が遅いのだ。
うちのmpdサーバーのライブラリと比べたらだけど。あ、cuiだから速くて当然か。一般的にはこんなものなのかな、、、
そこで、最近の若い人たちのパソコン離れという話を思い出す。
パソコン自体を持ってないということは、考えてみたら、携帯プレーヤーの音源もバックアップできないのだ。アカウントさえあれば、ハードを無くしても問題ないというのであれば合理的だけど。
CDを買う?
今更?
海外ではCD自体がリリースされないケースも多いという。ユーザーはプレーヤー自体を持ってないし、パソコンがないとリッピングもできない。
じゃあ、いっそのことアナログだ。
本棚にずらりと並んだアナログディスクは、個人のライブラリそのものだ。検索して探すのではなく、並んだ音源を見比べて聴きたい物を選ぶ事ができる。
選択肢を眺めながら、ときに見比べたり、流し見たり、記載を読んだり、何か思い付いたり、気分次第で五感を使って選ぶことは、検索ウインドウに何か打ち込んで提示された選択肢から選ぶこととは、全く違う自由度がある。
やっぱり時代はそっちなのか?
ストリーミングとアナログが主流になるというのは、そういう感じでそうなるのかな、というイメージに帰着した。
つまりユーザーの選択というより、そっちに流されているんじゃないかという。
結果、僕には多少不便な感じ。
ライブラリの問題はRoonとか使ったら違ってくるのだろうか。
かもしれないけど、ストリーミングはtidalとQobuzしか対応してないようだ。
まあ、なんとか使いやすい手法を探していくしかないだろう。
次、ストリーミングサービスの音源管理がいい加減すぎる。
先のライブラリが作りにくいという話とも関連するかもしれないけど、サービス側の音楽データ管理が杜撰だ。
例えば、サイモンとガーファンクルのアルバム。
phile-webで間違いが指摘されていて、amazon musicに見に行ったのだけど。

一見、デビューアルバムだが、収録曲が違っている。
実体はベスト盤「The Definitive Simon and Garfunkel」で、クレジット表示やアートワークがデビューアルバムのものになっているようだ。デビューアルバムだと思って聴いた人は仰天するだろう。知らない人が初めて聞いたら、そういうものだと思い込んで何処かで恥をかくこともあるだろう。
この事態をamazonのチャットに書き込んだら、対処するとの返事はもらったが、部署が違ったみたいでもあってか、その後の音沙汰なし。11月7日、amazon musicのヘルプをクリックしたら「Amazon Music のフィードバック」という通信欄が表示されるようになっているのを発見。

そこから以下の文面を送信してみた。
コンテンツの表示に間違いがあります。
具体的には、下記アドレスで表示される音源です。
https://music.amazon.co.jp/albums/B013099KM6「Wednesday Morning, 3 Am」と表示されていますが、実際は「The Definitive Simon & Garfunkel」というベスト盤の音源と思われます。
訂正が可能なのであれば、したほうが良いと思われます。
知らない人は、誤解したまま音源を聞くことになります。
はたして訂正されるだろうか。
ちなみに上のS and Gの画像は、11月8日にチャプチャーしたもの。
ということで、ここまでは単なる愚痴だ。
どうも最近、ストリーミングサービスの在り様自体に不信感を抱くようになってきている。
サイモンとガーファンクルの件はアーティストは間違っていないので、まだ問題は小さいかもしれない。
検索すると、同名異人のミュージシャンが一緒にされている例が見られる。
区別がつくならまだいいんだけど、簡単には区別がつかないことも多い。
表示画面にミュージシャンや音源の情報自体が少ないのだ。同名のものがあったときに区別、判断するには名前以外の情報が必要なのに、それが殆どストリーミングサービスの画面には併記されていない。

このキャプチャー画像は、10月21日に取得したもので、amazon musicで「Ride」というバンドを検索し、ディスコグラフィを表示した画面。
一見何の変哲もないが、左下の「Preface」という作品は、同名異人のミュージシャンである。
Spotifyのほうでも以前は同一アーティストの作品として表示されていて(その後、別になっている)、僕は聴いた後におかしいと思って調べて、別人らしいと気付いたのだ。
キャプチャー画像には、他にも関係がないと思われる音源が表示されている。

次の画像も10月21日に取得、Deezerで「The Big Pink」というバンドを検索し、ディスコグラフィを表示した画面。
これも左下の「Plays the Band」という作品の得体が知れない。
タイトルだけ見たら、The Big PinkがThe Bandをカバーした作品に見える(そんなことがあったら、すごく意外だけど)。
ネット上を軽く調べただけでは、来歴がはっきりしない。再生回数だけで言えば、一部の他のBig Pinkの作品の再生回数よりも上位に食い込んでいる。
そりゃあ、新譜かなと思ったら聴く人もいるだろう。
再生されたということは、それに見合っただけの金額が、この音源をここに置いた何者かに支払われるということだ。
それにしても、何者だ?
ネット検索で引っかかった。
The Big Pink-The Last Waltz Tribute
https://www.facebook.com/BigPink13/
なるほど、、、実際、The Band関係なら再生回数が多いのもむべなるかな、、、なのかな?
しかし、だったら別のミュージシャンとして登録されているべきだよね。
関連アーティストにThe Bandは出てこない。
いや、、みんな、分かって聴いているのかな、、、
そもそも、The Big Pinkと、このトリビュートバンド、アートワーク写真の風体も音も違いすぎるもんな、、、
違いすぎたら、おかしいと思うけど、違和感がなかったら気付かれないかもしれないということだ。
こういうネットニュースの記事もある。
2020年09月23日 Spotifyを悪用して全く無名のアーティストが再生回数を稼ぎまくる方法とは?
https://gigazine.net/news/20200923-cheater-make-money-spotify/
記事の記載を引用すると「Spotify上では「Relaxing Music Therapy」や「Pro Sound Effects Library」、「Yoga」といった奇妙な名前のアーティストの曲を、1カ月当たり数十万人ものリスナーが聞いているとのこと。」と書かれている。
要は「手軽に使える音源」へのニーズが一定数あって、それで稼いでいるということだ。そういうことは、起きるべくして起きていると思う。
この記事を読んで、余計な考えが浮かんだ。
同名異人ミュージシャンがいっしょくたに陳列され、どれが誰の作品なのか分からないように表示される環境で、誰がどのように意図してどんな風に利用しようとしたら何が出来るのか。
こういうことは多分、例に挙げたケースやGigazineの記事の内容に限定されたことではないのだろうと思う。
更なる問題は、これが現在のミュージックコンテンツ配信の主流ということだ。
そんなこんなで、音楽のストリーミングサービスとは何なのかという気持ちが生まれている。
誰でも音楽で稼ぐことが出来るって、こういうことじゃなかったと思う。
少なくとも、僕が若い頃、子供の頃から慣れ親しみ、夢中になってきた音楽とは、在り方の様相が違うと感じている。レコードやCDのように小遣いで音源を買ってきて、鳴らし方も簡単で、単純に楽しめるという物では無くなった。
え?、スマホで簡単に聞けるって?
それはそうだけど。
なんかね、すごく違うんだよ。
簡単に聴けるというのと、安心して聴けるというのは違うんだよ。
たしかに、簡単に気軽にいろんな音源が聴けて、音源の貯蔵庫としては滅茶苦茶に巨大になっていて、恩恵も受けている。
でも、こんなんで大丈夫なのかな、という気持ちになる。
大事なところが蔑ろにされているんじゃないのか、という気持ちは、ダウンロード配信が始まった頃にも感じたのだけど(一番大きかったのは、この頃もクレジットの多くがが欠如してるということだった)、あの頃よりも強く感じるようになった。それは個々の音楽家の責ではなく、ストリーミングサービスのあり方が生み出した現状に対して感じるものだ。
音が鳴ればいいってもんじゃないんだよ、というか。
不正の温床じゃないのこれ、というか。
どこに金が行くかとなると、この時代、冗談ではなくなってくるというか。
音楽ストリーミングサービスとどう付き合っていくのがいいのかな。
割り切って聴かないというのもありだけど、せっかく手を付けたのに残念な気もするし。
とりあえず、クレジットを真っ当にするところから改善があればいいんだけど。
正確で詳細なクレジットがコンテンツに付いているというのは、不正を防ぐ第一歩だと思うからだ。
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