Sep 25, 2020
音楽を聴くにはどうしたらいいのだろうか
今回のエントリーは、音楽とどう向き合うか、という話だ。
オーディオも関係してくるけど、たいした内容はない。
他人にはどうでもいい話だ。
僕は中学の頃からラジオでポップミュージックを聴き始めた。
高校でビートルズに嵌ってプログレ、レッドゼッペリン、パンク、大学に入った頃にインディーズブームがあり、それからは最新のポップミュージックをずっと追いかけていた。
オーディオセットがましになってからは、クラシックやジャズなども聴いていたけど、メインの音源はロックなどポップミュージックだった。
それが、あの311以降、がらっと変わってしまった。
新しいポップミュージックを聴かなくなったのだ。
昔から追いかけているミュージシャンの作品は入手するが、新人はほとんど聴かなくなった。
この心境、志向の変化は、うまく説明できなかった。
災害当初は、新しい音楽なんか聞いていられるかという気持ちだった。それならば分からなくもなく、そのうち聴く気になるかなあ、などと思っていたんだけど、その後、年月が過ぎても、聴く気になれない。
では、手持ちの音源ばかり聴いていたのかというと全くそんなことはなく、主に新たに入手した音源を聴いていた。
クラシックの比率は大幅に増えた(これはオーディオシステム上流の改善に牽引されたと思う)。ポップミュージックは、聴いたことがなかった過去のミュージシャンが中心で、特に多かったのは安価なCDボックスセットで販売されているものだ。
つまり、クラシックが増えたとはいえ、ポップミュージックもあれやこれやと聴いてはいたのだ。逆に最先端中心に追いかけていた頃より、幅が広がったかもしれない。
10年経っても、最新のポップミュージックは聴く気になれなかった。
飽きたんだろうか。
年をとって付いていけなくなった?
なんというか、聴いたら面白いと思う瞬間はあるんだけど、なかなか追いかける気になれないのだ。
じゃあ、ストリーミングで十分じゃない?
、、、、、、
ここ数年、ストリーミングが音楽配信の主流になったと言われている。そこそこ良好な音質で聴ける環境も整ってきているらしい。
CDは古いのだそうだ。
新しい音源は、ストリーミングじゃないと聴けなくなるのかもしれない。
最近聴いているのはクラシックが多いけど、クラシックだって多分そうなるんだよ?ひと月に千円とかなら安いじゃないか。だいたいCD置く場所、なくなってるじゃないの。
しかし、だ。
そういう理屈は分かるけど。
全くそっちに行く気になれなかった。
今回、Amazon Prime Musicがある程度まともに鳴るようにセッティングしてみようと思ったのは、僕にとってストリーミングがどういう位置付けになるのか、試してみないことには分からないと思ったからだ。
やる気が起きないからと手を付けなかったら、たぶんずっとこのままだ。
HDとかUnlimitedとか、高音質や曲数が多いのもあるけど、無料で試せるのは短期間で、とてもじゃないけど見極められない。
そんなわけで、まずはPrimeで良かろうと割り切って手を付けてみた。
曲数なんて大して問題にならないだろう。ストリーミングは最先端ばかりではない。古くてCD入手困難な音源がしれっとおいてあったりもする。もちろん無い音源も多いけど、聴いたことがない音源には困らない程度の量はある。
だが、そんなにあれこれ聴こうという気に、自分はなるのだろうか。
昔は、とにかく広く浅く大量の音源を聴こうとしていた。聴いたことがない音楽があるということ自体が聴く理由だった。
何時頃からか、そんな無闇なやり方とは折り合いをつけて、今はずいぶん様変わりして物理的時間的限界で量を聴けなくたって別に困らない。
そうはいっても、興味がある音源があれば入手しようとするのだけど。
最近は何に興味が?
改めて考えてみたら、、、気が付けば、高音質音源だ。
先日、アンプが故障して痛感したことがある。
僕は良い音で鳴ってるオーディオがないと、もたないようだ。
短期間なら音が良くなくてもいいが、長くなると息が切れたような気分になってくる。不足感が半端ない。そしてたぶん、音が悪いなら聴かない方がマシだ、というようなことに、最終的にはなりそうな気がしたのだ。
高音質な音源は、鳴ってるだけでも気持ちがいい。癒される。どういうんだろうね、まるでドラッグ、依存症だ。
昔、僕にとって、世界と音楽は重なり合って存在するものだった。いや、音楽は世界につながるためのプラグの一つだった、というべきか。世界を音楽で彩ることで、僕は世界の中で息をしていた。
それが、最近そういう感覚がない。
311以降、世界と音楽は、僕の中で切れてしまった。
僕自身が、切ってしまったのかもしれない。
あの数年後、僕はツイッターに「伝説を語ることが空々しく感じられるけど、歴史に触れることには逆にリアリティがあるような気がする」とツイートしている。そんな感じで過去のポップミュージックばかり聴いていたんだね。
そして、切れたままなのだ。
僕から見える世界は、この10年で、ずいぶん変わってしまったと思う。こんな世界を彩ることが出来る音楽を、僕は見つけられなくなったのかもしれない。
まあ、それでも息をしていられるようになったということだけど。
だから別にそれでいけないことはない、とも思う。
昔の僕にとって音楽は空気や水のようなものだったが、今の僕にとってはドラッグだということだ。はたから見たらやってることはほとんど同じで、見分けがつかないだろう。
それが僕にとって問題なのかといえば、大した問題ではないっちゃないので、別にいいっちゃいいんだけど。
それとは別に。
音質希求の方向性は、オーディオシステムに影響する。
何が言いたいのかというと、つまり、ストリーミングは現状、768kHzにアップサンプリングできないのだ。
ストリーミング音源ではそれが出来ない。
僕にそのスキルがない。
そうした音源が主流になっていくとき、どう僕の中に位置づけるのかということになる。
昔は今ほど音質は大きな要素ではなかった。
今はそうではない。
ふだん、パソコンで音源を鳴らして平気でいたりすることもある。カーオーディオは現状の音質で全く不満がない。
しかしそれは、メインに高音質なオーディオがあるからこそ一時的に我慢できるのであって、それがなくてパソコンでしか聴けなかったら、車でしか聴けなかったら、、、
僕は聴くのをやめるだろうか、それとも、聴き続けるだろうか。
聴き続けるとしたら、何を聴くだろう。
それは世界を彩ることができる音楽なのか。それとも、もっと違う聴き方になるのか。
Prime MusicをPulseaudioで鳴らしてみようなどというのは、そういう疑問に対する一種の足掻きということだ。
そんなこんなで、うちでもストリーミングの利用が本格化?しつつある。今回のエントリーは一種の定点観測記録のようなものだ。
次回は、ストリーミング自体について、オーディオ中心の話になる。
いや、、、思った以上に、ストリーミングって、オーディオ的にも面白いね。
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