Dec 26, 2023
「プロフェッショナル 仕事の流儀 ジブリと宮崎駿の2399日」を観た(27日、追記)
2024.03.20. 追記。
ジブリ公式では「大伯父」とされたが、このサイトではずっと「大叔父」の表記が残っていた。
このたび「大伯父」に統一、修正した。
NHKがドキュメントを放送した。
宮﨑駿『君たちはどう生きるか』は高畑勲からの解放だった 『プロフェッショナル』を観て
https://realsound.jp/movie/2023/12/post-1523016.html
まあ、なんというか、驚いた。
あそこまで高畑への思いが強いとは。
たぶん、駿にとって父親のような存在だったのだろう。
ネット上には、そんな駿の姿を受け入れにくくて、恣意的な編集があるのではないかという見方も上がっているが、僕みたいなのが言うのもなんだが、写ってる画面自体の説得力がはんぱなくて、そんな見方は捻じ伏せられていると思う。 恣意的な編集は、そんなことをする余地がある場合にできることではないだろうか。
そして、あの映画が、どういう経過で作られたかが分かった。
いろいろと、腑に落ちた。
どう腑に落ちたのかといわれると、説明しにくいが。
おそらく最初は、失われたものたちの本と君たちはどう生きるかをミックスしたような話だったのだろう。そこに幼いころの駿をモデルにして主人公に据えるような。
高畑をモデルに描きたいというのは、最初からあったのだろうか。
少なくとも、高畑に見せたいというのはあっただろう。それは、多かれ少なかれ昔から、駿の作品にはあっただろう。
それが、高畑が亡くなり、別の話になった。高畑をモデルにしたキャラクターがいたとしても、生きているときに見せたいものと、亡くなった高畑に向けてのものでは、まったく違うものになるだろう。
あの、木に竹を継いだようにも見える構造の不可解さは、駿のモチベーションのベクトルが大きく変わったことによるのだと思う。あの映画は高畑への追悼であり、同時に駿自身の内面、長年にわたってアニメーションを作ってきた過去に向けての追悼でもあるのだ。
あの映画には、生きていく若い駿が描かれている。
消えていく大伯父は老いて力を失っていく高畑であり、駿でもある。
どのキャラクターのモデルが誰で、というのは鈴木プロデューサーからかな?、公開当初からわずかながら出されていたと思う。
しかし、深い内実は今回の番組まで晒されてなかった。この映画、内実を晒してしまったら、その内実だけで作品が語られてしまうリスクが大きいような気がする。
下手な宣伝は打てない。
とってつけたような表面的で売れ線な宣伝を打ったら、作品に込められた監督の内面を傷付ける。泥を塗ることになる。追悼を売るのかということになる。
宣伝を打てなかったのは、あまりにもプライベートが反映された映画だったからだろう。
鈴木氏は、見る人が見たらわかると言っていたような記憶がある。
たぶん、実際、そういう映画なのだろう。
今回、あの番組で、あそこまで制作側の、駿の内実が晒されて、作品そのものへの評価や観客の理解はどうなるのか、とは思う。
プライベートな映画は、アングラ(僕の言い方だけど)だったらやりやすいのだ。
大規模な商業映画ではやりにくいはずだ。
まあ、やっちゃったわけだけど。ふつうじゃないわな。
真人に向かって自分の時に戻れと叫ぶ大伯父のシーンを繰り返しアフレコする場面で、ドキュメントは締め括られる。
なるほど、これはそういう映画なんだな、と。
あれが大伯父の本音ということだ。
プロフェッショナル 仕事の流儀 ジブリと宮崎駿の2399日
https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2023132680SA000/index.html
とても面白く、興味深いドキュメントだった。
再放送しないそうだ。
見たければ現状、オンデマンドで見るしかない。
しかし金払ってみてもいいのではないかと思った。
駿は新しい作品を作るだろうか。個人的には、未来の話を見たい。
彼の作品は、昔の話が多い印象がある。
コナンは未来の話に感じられる。あれ以降は描いていない。
ナウシカは未来といえないこともないが、あまりに遠くかけ離れていて実感がない。On Your Markというのがあるようだけど、どういうつもりなのかよくわからない。実際、実験なのだろう。
未来は描きたくないんだろうか。というか、暗い未来しか描いていない気がする。
明るい気持ちになれる未来ものを、また見たいなあと勝手に思う。
あと、今回のドキュメントを見て気付いたことがある。
高畑はコナンに関わっている。調べてみたら、ラオ博士を演出している。
だから、たぶん、やはり、大伯父にはラオ博士が入っている。これは、だからどうなんだって話だけど。
27日、例によって追記だ。
思い至ったこと。
大伯父は、自ら望んで、あの下の世界を作ったんだろうか。
実は真人のように呼び込まれるように入りこみ、出られなくなったのではないか。
いや、実際のところ、望んで行ったのかどうかは大して問題ではないような気がするけど。
落ちてきた石との契約、と大伯父は言った。
石には悪意があると。
悪魔との契約、なのかな、圧倒的な力の差がある相手に魂を売り渡す。そのかわりに大伯父が手に入れたのが、あの世界だ。
そして、あの世界を維持すること、後継者を求めるのは、石の意向でもある、のかな。
これは平等な取り引きか。
入り込み出られなくなったのは、たぶん、ひみちゃんも、キリコさんも、そうなのだ。なつこさんも、そうなんだろう。
自らの意思でそこにいるとしても、望んで居るわけではないのではないか。
落ちてきた石は、SF的に解釈をしたら2001年宇宙の旅に出てきたモノリスのようなものだ。
そこに大伯父が捕まって、何かを作り始める。
更に、ひみちゃんやキリコさんも引っかかる。
石の意志はモノリス同様、判然としない。野蛮な星を文明化させるのが目的なのだろうか、しかしそれならなんで下の世界なんか作ってるのか。
石の意志は伺い知れない。
石は人を眺めて、何を思っているだろうか。
そして大伯父は自分が作った世界を見て、何を思うだろう。得意になり上機嫌なわけがない。上の世界とは比べるべくもない貧困さに、絶望するはずだ。美しいところは上の世界のコピーだ。醜いところも上の世界のコピーだ。
彼は契約で、あの世界を半生にわたって維持してきている。
たぶんあれは、石の力で、本来の寿命よりも長く生かされているのだ。
ならば、真人が世界の継承を断り、あの世界が壊れることは、大伯父にとっても解放なのだろう。
なんだか、突っ込んだらSFになってきた。
しかし、ジブリの面々に当てはめたら、なんだか切なく暗くなるような話だ。
やはり物語と製作の内実を結びつけるのは、ほどほどにするか、分けて考えたほうがいいのではないかと思う。
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Caution!!!
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