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May 31, 2007

写真の著作権

写真を無断でデジタル化、小学館に賠償命令・東京地裁(nikkei net)

判決によると、加藤さんは1998—2003年6月ごろまで小学館発行の雑誌「サライ」に掲載するための写真を同社の依頼で撮影。同社は掲載写真を有料データベースに活用しようと、加藤さんの許諾なしに写真(ポジフィルム)計407枚をスキャナーでデジタル化してサーバーに取り込み、複製して著作権を侵害した。

有料データベースって、サライの読者がアクセスするのかいな。
こりゃまた、そういうとこで訴訟になるのかいと思ったら、大きな争点はもっと違うとこにあるような。
ちなみにこちらが判決。
平成17(ワ)24929 損害賠償請求事件(裁判所)

日経以外の記事。
雑誌写真のフィルム所有権は写真家に認定(nikkansports)
フィルムは写真家の物/小学館に320万賠償命令(四国新聞社)
朝日や読売など、大手の新聞社はネット上を見る限り記事が無いような。地方紙が多いね。共同通信かどこかか?

日刊スポーツより。

フィルムの所有権が同社と加藤さんのどちらにあるかなどが争点になったが、清水節裁判長は加藤さんに帰属すると認定。「無断で写真がデータベース化され著作権を侵害された」との主張も「複製権の侵害に当たる」と認め損害額に加えた。

日本写真家協会(東京)は「フィルム所有権の帰属が訴訟で争われるのは異例。所有権をあいまいなままにして写真やフィルムを返さない出版社もあり、非常に評価できる判決だ」と指摘。小学館側は「一般にフィルムの所有権についてはあいまいだった。編集者と写真家の関係への影響は大きい」としている。

判決によると、加藤さんは1998年ごろから約5年半、同誌掲載用の写真を撮影。フィルムを小学館に渡したが、同社は117枚を紛失した。

訴訟では所有権の帰属を中心に争われ、小学館は「フィルム代や現像代などの経費を払っており所有権は社にある」と主張。しかし判決は「すべてのフィルム代が払われたかはっきりせず、所有権を同社に帰属することを考慮した対価も払われていない」と判断した。

つまり、記事から読み取れる争点は2つ。

  1. フィルムの所有権

    これは写真家の加藤雅昭氏に帰属するという判決。今まで契約とか曖昧だったのかもしれない。逆に今後は契約内容で帰属が決められるようになるかも。音楽とかそうだよね。ミュージシャンに音楽は帰属しない。力関係が問われそうだ。
    それにしても、紛失したというのは情けない。生原稿とかもなくなると言うし、、。
    出版社っていいかげんなのかね。

    所有権の帰属問題から派生して、コピーが争点になったということか。
    つうかコピーの損害賠償よりも紛失したフィルムの賠償というのはないのかいな。と思ったら、判決文には紛失の賠償も含まれている。

  2. 写真の著作権

    これはなんというか、どうなんだろう。
    サライに掲載された写真ということで、小学館がデータを持っていて、過去に出版されているという事実。今回、実は著作権は写真家にあるんだよという判決で、多分、今後こういうことは契約をきちんとしないと、ってことになるんだろう。
    そうじゃないと社内にデータベース構築するだけで、著作権使用料を支払わなくちゃいけないんだから。雑誌で掲載される写真の全てについて、いちいちそんなことはできないんじゃないかな。

えーと。
裁判所サイトからダウンロードできる判決文によると、争点は5つ。

  1. 本件交付ポジフィルム写真に係る送信可能化権又は複製権の侵害の有無(争点1)
  2. 本件交付ポジフィルムの所有権の帰属(争点2)
  3. 本件交付ポジフィルムの紛失の有無・枚数(争点3)
  4. 被告による営業妨害の有無(争点4)
  5. 原告の損害(争点5)

つうか、有料データベースの話、出てこないんですけど。。。あくまで、社内のデータベースとして使うためにデジタルデータ化したらしい。それが、社員が数百人いるから、送信可能化権の侵害にあたるのだと原告の主張。うーん、、。
実際、判決文では、送信可能化権の侵害にはあたらないと書かれているようだ。「複製権の侵害」ということらしい。そういうことなら話は通るけど。

ちょっと引用。

ポジフィルム自体の所有権と,そこに化体されている著作物である写真の著作権とが別個に考えられるのであるから,費用の負担状況,サライ掲載後の報酬等の支払などの諸事情を考慮した上,原告と被告間の合意において,ポジフィルム自体の所有権をいずれに帰属させることを内容としていたのかを合理的に解釈するのが相当である。

所有権と著作権は、別ってこと。まぁ、それはそうだ。
なるほど、「所有権の帰属問題から派生して、コピーが争点になった」、とは言えないんだね。
争点3については、117枚の紛失。争点4については、原告の主張は退けられている。
争点5について、引用。

被告には,上記において認定したとおり,本件デジタルデータ407枚について,該当するポジフィルムに写された写真についての複製権侵害(上記1)及び本件紛失ポジフィルム117枚についての所有権侵害の不法行為(上記3)が認められるから,以下,これらについての原告の損害を検討する。

その結果は、以下の通り。

本件デジタルデータに係る複製権侵害の損害82万円
本件紛失ポジフィルム117枚についての所有権侵害の損害246万円
合計328万円

つうことで、ほとんどがフィルムを無くした賠償なんだった。
とりあえず、日経の記事ってどうよ、ってことで。報道しない大手新聞社もどうかと。印刷紙面では出てるのかな。

と思ったら、原告本人のサイトがあるよ!
小学館サライ著作権侵害裁判報告

6月1日、追記。
行政書士のブログに解説がアップされた。
「サライ写真著作権侵害」事件〜著作権 損害賠償請求事件判決(知的財産裁判例集)〜(駒沢公園行政書士事務所日記)

6月3日追記。
この事例とは違う写真に関する著作権についてもう一件。
二審も角川に販売差し止め=家族写真掲載で著作権侵害−知財高裁(時事ドットコム)
「スナップ写真にも著作権」角川に販売差し止め・知財高裁(nikkei net)
3日の時点で裁判所に判例は上がっていない様子。
前の判例は上がってるのかな。

解説してるブログがある。
出版社、受難の時代。出版社の災難(企業法務戦士の雑感)

むしろ肖像権とかで問題になりそうなもんだけど。
著作権が及ぶ範囲を広げすぎるのは違和感がある。

Posted at 10:03 in NoCCCD | WriteBacks (0) | Edit Tagged as: , ,

Feb 26, 2007

Jan 27, 2007

怖いよね

毎日新聞連載「ネット君臨」で考える取材の可視化問題(CNET Japan Blog - 佐々木俊尚 ジャーナリストの視点)

面白い。
マスコミというものについて、すごく良く書かれたエントリーだと思った。
しかし「毎日新聞サイドがこの件をどう見ているのかについては、いずれ日を改めてアップロードしたいと思っている。」ということだけど、出来るのかしら。
現状、マスコミが正直にものをいうなんて思えないよね。

 新聞社も、ようやくそのことに気づきつつある。「ネット君臨」取材班の担当デスクである花谷寿人デスクは、毎日新聞の「発信箱」というコーナーで、「ネット取材考」というコラムを昨年末に書いた。彼はこう書いている。
 ところがいきなり、ネット社会の怖さを感じることになる。相手が取材された内容を、直後にブログの日記やネットの掲示板に書き込む。新聞記者のかつての取材は1対1の関係だった。それが大きく変わり、記者個人の名前や取材の仕方が不特定多数の人々にさらされる。メディアもそういう時代を迎えたことを思い知らされた。記者は名刺を出すことさえ、ためらうこともある。

なんだ、その怖さは、僕がマスコミに対して感じる怖さと同じではないか。
信用ならないくせに声だけは大きい。
1対1の関係?、嘘だろう。正当性があるようなふりで、恣意的に発言内容を改変して不特定多数に晒すくせに。

名刺を出すことさえためらうって、そんなの取材を受ける方も同じだ。いや、だったというべきか。
でも、ネット上で発言するすべを持たない人にとっては、やっぱり取材を受けるのは恐怖だよね。

本当に、花谷寿人デスクという人は、かつての取材、ネット不在時代の取材は、1対1の関係だった、と思ってるのだろうか、、。
そうだとしたら、マスコミの中に入る人達は、自分たちが、自分たちがしていることが、全く見えていないのだろう。
それとも、それが見えなくなることが、マスコミ人として一人前になることだったりするのだろうか。

この当時、ある大手週刊誌の記者を務めていた知人は、後に私にこんなふうに漏らしている。

 「郵政解散でわれわれは絶対に小泉を勝たせちゃいけないと思ったんです。それで徹底的に反小泉の論調を張り、小泉の側に立つ政治家たちの不祥事や問題を洗いざらい調べ上げた。そうやって投開票日を迎え、われわれとしては小泉自民党は選挙に負けるだろうと思いこんでいたのに、蓋を開けてみたらまったく逆の結果だったんです。その後の編集会議はまるでお通夜のようで、言葉も出ませんでした」

この傲慢。
これが当たり前だと思ってるなんて、病理としか言い様がない。
違うかな。

第4の権力にはブレーキをかける者が今までなかったんだけど、それが現れたのはいいことだと思う。
マスコミにとっても、正常化するいい機会だと思いますね。
つうか、ここで「取材が出来ない、ネット上の言論を抑え込むべきだ。」などと、奇異なことをやり出さないことを願う。
自分の首を絞めるようなものだから。

 取材対象とのこの関係性を、「怖さ」と感じるのかどうか。「ためらう」と思ってしまうのかどうか。そのハードルをどう乗り越えられるかどうかに、新聞記者がネット時代を生き残れるかどうかがかかっているように思う。「怖い」「ためらってしまう」と感じてしまうのはしかたないことだと思うのだが、そこで踏みとどまってしまって、「怖いネットはやはり危険だ」とネガティブ思考に転じてしまったら、その先の未来は存在しない。花谷氏は実は私の新聞社時代の先輩(私も毎日新聞社会部出身だ)で、面識がある。この件について、一度ゆっくり話し合ってみたいと思っている。

今まで声を挙げることがなかった個人がマスに対して声を届けることが出来る状況によって、本来の意味で民主主義や表現の自由が機能し始めるのではないかと、個人的に期待しています。
それを見ることが出来たらいーなあと、面白い時代だなあと思います。
怖いけどね。

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