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Jun 12, 2022

TAS Super LP List と TAS Super Download List

今回は音源の話。
というか、高音質音源リストについて。

海外に「the absolute sound」というオーディオサイトがある。
そこにオーディオファイル向けの高音質音源がリストされている。

The HP Super LP List
by Harry Pearson Nov 17th, 2014
https://www.theabsolutesound.com/articles/the-hp-super-lp-list

2019 TAS Super LP List
BLOG by TAS Staff Jul 10th, 2019
https://www.theabsolutesound.com/articles/2019-tas-super-lp-list

Harry Pearsonという人がまとめた古い音源中心のアナログディスクのリストがあって、TASスタッフが引き継いだということらしいんだけど、2019年を最後に更新されなくなった。コロナの関係とかもあったのかもしれないが。
2020年以降は、こんな感じ。

2020 Top Ten Lists
BLOG by Jeff Wilson Dec 14th, 2020
https://www.theabsolutesound.com/articles/2020-top-ten-lists

2021 TAS Tapeography
BLOG by Jonathan Valin Jan 17th, 2022
https://www.theabsolutesound.com/articles/2021-tas-tapeography

テープのリストって、すごいわね、、、
そして2022年は、こんな感じ。

TAS Super Download List : Classical
MUSIC by TAS Staff Mar 31st, 2022
https://www.theabsolutesound.com/articles/tas-super-download-list-classical

TAS Super Download List : Jazz
MUSIC by TAS Staff Apr 01st, 2022
https://www.theabsolutesound.com/articles/tas-super-download-list-jazz

TAS Super Download List : Pop, Rock, and Folk
MUSIC by TAS Staff Apr 01st, 2022
https://www.theabsolutesound.com/articles/tas-super-download-list-pop-rock-and-folk

Though HP once attempted to compile a list of recommended digital recordings (then only available on CDs and SACDs), he was unable to make consistent progress and eventually abandoned the effort.
Over the next few years, I will attempt to pick up where Harry left off.
For various reasons, I’m going to begin with media available via the Internet, starting with high-resolution downloads from HDtracks. In time, I will add streamed versions of these same titles (assuming they are recommendable, of course).

(翻訳 by Google)
HPはかつて推奨されるデジタル録音のリストを編集しようとしましたが(当時はCDとSACDでのみ利用可能でした)、一貫した進歩を遂げることができず、最終的にその努力を断念しました。
今後数年間で、ハリーが中断したところから再開しようと思います。
さまざまな理由から、HDtracksからの高解像度のダウンロードから始めて、インターネット経由で利用できるメディアから始めます。そのうちに、これらの同じタイトルのストリーミングバージョンを追加します(もちろん、それらが推奨されると仮定します)。

ダウンロードやストリーミングのリストを作っていく計画とのこと。
最初は20個しかないが、TASのWebサイトで毎月1〜2回、新しいタイトルを追加していく意向らしい。
LPのリストは、どうやら2019年が最新版ということで、しばらくは更新されないかもしれない。実際のところ、難しそうな感じだし、割り切って別のリストを構築するというのは、いい考えではないかと思う。

それにしても、オーディオファイル向けの高音質音源のリストというのは難しい。
リストから漏れている音源がどうしても出てくるし、音が良くても楽しめない内容だったらちょっと辛い。

個人的に思うのは、音が「良くない」ソフトというのは少ない。
割合がどのくらいなのかといわれると困るけど、まあ、3分の2以上は、いいオーディオで鳴らしたほうが音が良くなるし、聴き応えもあるように思う。、、まあ、当たり前か。
何について言ってるのかが問題だね、、、クラシックが特にそんな感じかな、、、
JPopは、あんまり音が良くないのが多いとは思う。特にボーカル。お風呂で歌ってるように聞こえるのが多い印象がある。カラオケマイクを通したように聞こえるのだ。まあ、日本はカラオケの国だから仕方ないのかな。それがポップだということもあるし。それでも、ちゃんと録音してると思う音源も探せばそこそこあるような気がするのだけど。そういうわけで、僕にとってJPopで音質がいいというのは、ボーカルの音がいいというのとほぼ同義だったりする。その程度の聴き方しか出来てないということかもしれないが。

話が逸れた。
話が漠然としすぎていてまとまらない。

たいていの音源は、いい装置で鳴らせばいい音で鳴る。
そんな中で、特別に音質がいい音源を選りすぐってセレクトしないといけない。
当然だけど、再生装置、環境によって、音は変わる。
Harry Pearsonの再生環境で最高の音が鳴るディスクが、他の環境で素晴らしく鳴るとは限らない。
The HP Super LP Listの選から漏れた音源が、他の環境で、Harry Pearsonの装置で鳴らすThe HP Super LP Listの最高の音源以上の音で鳴ることが、絶対に無いとは言い切れない。そういう危うさが、高音質音源のリストには付き纏う。
完全に理想的とは言えないオーディオ機材、人の聴覚と感受性以上のセンサーが存在しない、そんな状況で最善を尽くす以外ないのだろう。

それでも「定番」としてのリストはニーズがあり、現実的に必要だと思う。
新しいリストが有用で充実したものになることを願う。

Posted at 22:03 in audio_diary | WriteBacks (0) | Edit Tagged as:

Dec 11, 2019

Lascia la spina (2021.04、2022.11 追記あり)

今回のエントリーはヘンデルの楽曲「Lascia la spina」の歌詞について書いている。
Handel - Lascia la spina cogli la rosa - Cecilia Bartoli youtube
https://youtu.be/hHrfSV4NmIc

個人的な解釈の羅列で、学究的で信頼性の高い内容とは無縁なので、予めお断りしておく。
正直、アップしたものかどうか迷ったんだけど、せっかく書いたんだし、と思ってアップしている。間違いを書いてるかもしれない。

ヘンデルの曲に「私を泣かせてください(Lascia ch'io pianga)」というのがある。
オペラ『リナルド』のなかのアリアで、youtubeでも検索したらヒットする。
ヘンデルはこの曲のメロディを3回使いまわしているという。
wikipediaから引用する。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E3%82%92%E6%B3%A3%E3%81%8B%E3%81%9B%E3%81%A6%E3%81%8F%E3%81%A0%E3%81%95%E3%81%84

このアリアのオリジナルの旋律は、ヘンデルの1705年のオペラ『アルミーラ』の第3幕にサラバンドとして使用されたのが初出である。
3年後、ヘンデルはこの旋律を再使用する。1707年のオラトリオ『時と悟りの勝利』(Il trionfo del tempo e del disinganno)(後に『時と真理の勝利』Il trionfo del tempo e della veritaの題で改作) の第2部のピアチェーレのアリアに使用したのである。このアリアは "Lascia la spina" と題されクリュザンダーの楽譜では24巻の76頁にこのアリアを見ることができる。1711年にヘンデルはまた旋律の再使用をする。それがオペラ『リナルド』第2幕でのアルミレーナのアリアである。この作品が最も成功をおさめた。

「時と真理の勝利」はNAXOSからライブ録音盤が出ていて(https://ml.naxos.jp/album/8.554440-42)僕は10数年前に入手した。たぶん、当時はまだ盛況だった岡山のタワーレコードあたりで、なんとなく3枚組CDで安いのが目に付いたので買ったような記憶がある。ロックばかりじゃなくクラシックもあれこれ聴いてみようと思っていた頃で手に取りやすかった。

さて聴いてみた音楽自体は退屈で(失礼)まいったなあと思った。3時間、延々と似たような音調で起伏が少ない室内楽?と歌が続く。意味も分からないから、なおのこと面白くない。中古屋に売ろうかなとも思ったが、これは変なレコードで、観客や演者がたてる雑音や演奏ミス?と思われる音が非常に多くて(実際、パッケージに断り書きが書いてある)、演奏が進むに連れて演者や観客達が中だるみしていく様がなんとなく聴き取れてしまう。終盤には、ああ、もうちょっとで終わる、頑張ろう!という感じで演者も盛り返していく感じがして、それにつれてか観客?も多少はしゃんとしている様子らしく、そういうのが面白く感じられて、なんとなく捨てずに来ている。
それどころか、なぜか2セット持っている。
いや、なぜかじゃなくて、たしか、それこそ中古屋で輸入盤が安く売られていたので手元の国内盤と違いがあるかどうかと思って買ったのだ。ふつう3枚組を、安いとはいえ、そんな理由では買わない。おかしいよね。
録音もいいとは言えないし、珍盤奇盤とまでは言わないが、人には薦められないマニアックな音源だ。

2022.11.14. 追記。
録音は、いいとは言えない、とは言えないのではないかと思うようになった。
環境雑音は多いし、一般的でメジャーなクラシックの優秀録音と言われるような、楽器の音像がくっきりして隙間の見通しがいい、情報量を捉えやすい音とは明らかに異なるのだけど、その場の音の雰囲気をよく捕えている。
民族音楽の現地録音のような生々しさ、不思議な熱がある。商業録音っぽくない。
こういう音は、捨て難い魅力があると思う。
というか、大げさに言うと僕は多分、こういう録音には特別席を献呈すべきだと思っている。これはそういう音源なのだ。
Lascia la spina があったからCDを手放さなかったとか書いているが、今聴くと他の曲もいい。音が良くなったからそう思うのかもしれない。

最近気がついたんだけど、僕は変な音源が好きらしい。ちゃんとしてるよりは、してないほうが面白いと思うようなのだ。水琴窟のCDを入手したんだけど、ポチャン、ポチャンいってる傍らを自動車が走っていく音がするのを家族に聴かせたりして嫌がられている。まあそれは、今回のエントリーとは関係ないのだけど。

そんな感じのオラトリオの中で、唯一、突出し浮いている曲が件の「Lascia la spina」だった。曲名は「棘を抜いて」とNAXOS国内盤では訳されている。このトラックにはちょっと問題があるんだけど、ここでは触れない。それでも、このCDを中古屋に売らなかったのは、この曲があったからというのもある。ヘンデルが3回使いまわした気持ちはわかる。
wikipediaから、歌詞を引用。
Lascia ch'io pianga のページに書いてある。

https://en.wikipedia.org/wiki/Lascia_ch'io_pianga

Lascia la spina, cogli la rosa;
tu vai cercando il tuo dolor.
Canuta brina per mano ascosa,
giungera quando nol crede il cuor.

Lascia ch'io pianga より Lascia la spina のほうが、メロディと歌詞の響きが調和しているように感じる。
上記の歌詞をGoogle翻訳にかけてみた結果が下記。
ちょっと改行している。英語訳と日本語訳。

Leave the plug, pick the rose.
you go looking for your pain.
Glorious hoarfrost at hand, it will come when the heart does not believe.

プラグを残して、バラを選びます。
あなたはあなたの痛みを探しに行きます。
手元にある輝かしい霜、それは心が信じない時に来るでしょう。

ここはオーディオのブログだけどプラグはないだろうと思う。Googleにとって難しいのかな、これ。
ネット上を検索したら、いくつかこの歌に触れているサイトがある。「若さに満ちた美しい時間を、バラを摘んで過ごしなさい」という意味だという話が書いてある。

http://akihitosuzuki.hatenadiary.jp/entry/2009/05/21/112802
https://blog.goo.ne.jp/cachaca5151/e/9e416516c78d87401b4fe42a84268e75
https://www.nicovideo.jp/watch/nm18522503
https://research.piano.or.jp/series/arange/2017/03/002_1.html

リンク先のページを参考にして、つなぎ合わせて作った訳が、こんな感じかな。

棘は気にしないで、バラを摘みなさい
お前は探しているが、苦しみばかり見つけている
心からそれを信じない時は、思いがけず白い霜がやってくるだろう

NAXOSのサイトに英訳があった。
https://www.naxos.com/catalogue/item.asp?item_code=8.554440-42
https://www.naxos.com/mainsite/blurbs_reviews.asp?item_code=8.554440-42&catNum=554440&filetype=About%20this%20Recording&language=English#
というか、このページはオラトリオの筋立てと全ての歌の内容を網羅している。これはCDのブックレットに記載してある内容そのもののようだ。
歌詞が英文に翻訳されているので、話の流れや歌の内容を類推することもできる。
NAXOSによる英訳と、それをGoogleで日本語翻訳したのを以下に引用。

Leave the thorn,
Pluck the rose.
You go seeking
Your own sorrow.

White hoarfrost
Stealthily
Will come to you
When the heart least expects.

棘を残して
バラを摘みます。
あなたはあなた自身の悲しみを求めに行きます。

白い霜
こっそり
あなたに来ます
心が最も期待しないとき。

どういう意味なんだろうね、、、

オラトリオ「時と真理の勝利」は、美(Bellezza = Beauty)、快楽(Piacere = Pleasure)、時(Tempo = Time)、悟り(Disinganno = Disillusion)というキャラクター達が、誰が一番価値があるのか競うという寓話。最後は美が悔い改めて時と悟りが優位に立つ(こんなん書いても、わけがわからんね)。
このエントリーで記載していることって、Googleの翻訳機能を駆使して調べたことだ。翻訳機能、すごいね。このCDを入手した当時はCDブックレットの英文を読み込む根気もなかったから、こういうことが全く分からなかった。実は今回、初めてオラトリオのあらすじを知った。

Lascia la spina を歌うキャラクターは「快楽」だ。
どんな場面で歌っているかというと、共にいた「美」が悔い改めて「時」と「悟り」のもとに行こうとする場面で。
最終的に快楽は、偽りを糧にしか生きられないと歌いフェイドアウトする。

つまり「Lascia la spina」はこのオラトリオ的には不道徳な歌なのだ。
終盤、悔い改めた「美」が「E mentre io getto i fior, dammi le spine.」と歌うシーンがある。訳は「And while I cast aside the flowers, give me the thorns.」「そして、私が花を脇に投げている間に棘をください」。
改心しない快楽が歌うのが「棘を避けてバラを摘みなさい」という歌で、これに対し改心した美は「花を脇に投げて棘をください」と歌うわけだ。
なるほど、オラトリオのテーマ的に、Lascia la spina は観客に聞き流されたら困る内容を含んでる曲なんだね。これが心に刺さるほど、後で美が改心して歌う内容に気付きやすいかな。

聖書にはパウロの体に刺さった棘について記載があるそうだ。コリント人への第二の手紙 12:7 「そこで、高慢にならないように、わたしの肉体に一つの棘が与えられた。それは、高慢にならないように、わたしを打つサタンの使なのである」。これが「spina」なのかどうかは、突っ込んで調べてないので分からないけど。

しかし、僕みたいに「Lascia la spina」以外は退屈、などと言う不道徳な観客は、下手したら棘を避けてバラを摘みなさいというメッセージだけ受け取って帰宅するなどという事態になるのではないか。それはヘンデルの本意なのかどうか、どうなんだろう。

2021.04.13. 追記。
書き忘れていたんだけど、このオラトリオには「Lascia la spina」が2箇所にある。
NAXOSのデータベースから参考に引用。

ヘンデル:オラトリオ「時と真理の勝利」(ユンゲ・カントライ/フランクフルト・バロック管/マルティーニ)
https://ml.naxos.jp/album/8.554440-42

Disc 3

1. Part lll: Sinfonia: Andante, Da Capo.
2. Part lll: Recitative: Presso la Reggia ove ‘l Piacere risiede (Bellezza, Disinganno)
3. Part lll: Aria: Lascia la Spina (Piacere)
4. Part lll: Sarabande - Improvisation for Two Harpsichords (Almira, Hamburg 1704, HWV 1/4)
5. Part lll: Aria - Sarabande (II Trionfo del Tempo e del Disinganno, Rome 1707, HWV 46a/23), (Piacere)
(以下略)

CD3枚目の3曲目に「Lascia la Spina」があるが、これは同名異曲でメロディが全く違っていて、すごく軽薄な曲調だ。
5曲目の「Aria - Sarabande」が、このエントリーで取り上げた曲。歌詞は3曲目と同じだ。
曲だけ変えて、同じ歌詞を殆ど続けるように、同じキャラクター「快楽」が歌うのは含意があるんだろうけど、ここでは深入りしないでおく。

2023.10.08. 追記。
上記、同じ歌詞で違う曲が、ということだけど、
これは3曲目の「Lascia la Spina」が、「Il Trionfo del Tempo e della Verità (HWV 46b)」、つまり、このCDで取り上げた、ヘンデルによる1737年の改訂改題版の曲で、5曲目は「Il Trionfo del Tempo e del Disinganno (HWV 46a)」、1707年に作られた初版で使われた「Lascia la Spina」、ということだ。

初版は「時と悟りの勝利」というタイトルだった。
改訂後、「時と真理の勝利」に改題されている。
今更、初めて気付いたので、訂正する。

たぶん、1711年初演の「リナルド」の「私を泣かせてください(Lascia ch'io pianga)」が有名になってしまったので、改訂に当たって同じ曲では良くないと思って別の曲にしたのだろう。1757年には英語版が作られているのだけど、ここでは3曲目のLascia la Spina、つまり新しい方が使われている。

この曲の歌詞を調べてみて、訳の解釈は簡単ではないと知った。

Lascia la spina, cogli la rosa;
tu vai cercando il tuo dolor.
Canuta brina per mano ascosa,
giungera quando nol crede il cuor.

歌い始めの「Lascia」。Lascia ch'io pianga は「私を泣かせてください」と訳される。英語で「Let me cry」。名曲あるよね、Let it be、Let it go、、、
つまり、力が及ばない物事について、諦めて成り行きに任せる、という意味を含む。「泣かずにいられない私を、そっとしておいてください」というニュアンスかな。つまり、Lascia la spina は、棘について成り行き任せという解釈。棘を避けるという、人の意図が含まれるより、棘を気にしないで、つまり刺さろうがどうなろうが気にしないでバラを摘め、という意味合い。
そもそも「Cogli la rosa e lascia la spina」という諺があるそうだ。「物事はまず最良のものを目標とすべきだ」という意味とネット上にはある。
この諺の前後を入れ替えて歌詞にした意図は何だろう。聞き手の注意を引きたいというのはあろうけど、多分「棘」を強調したかったんだと思う。バラを摘みたければ棘を気にしてはいけない、ということ。

2行目は、ここまでで上がっている他のサイトの訳でも解釈が別れている。
「お前は探しているが、苦しみばかり見つけている」
「あなたはあなた自身の悲しみを求めに行きます」
上の訳だと、バラを探しているけど棘ばかり掴んでいる、という意味になる。
下の訳だと、バラを掴んだときに顧みなかった傷(棘)を探しに行く、という意味合いになる。これは現代的に過ぎるかな、、、

3、4行目は解釈が難しいみたい。
あちこちネット上に上がっている訳を列挙してみる。
「手元にある輝かしい霜、それは心が信じない時に来るでしょう」
「心からそれを信じない時は、思いがけず白い霜がやってくるだろう」
「白い霜 こっそり あなたに来ます 心が最も期待しないとき」
文脈を汲み取って、訳していくしかないのかな。
2行目をどう解釈するかでも、文脈が違ってくる。
白い霜は年を取ることを表すらしい。mano ascosa がわかりにくい。mano は手、ascosa は隠されているという意味らしいが?

この際、全体を我流で訳してみよう。

バラを摘むときには 棘を気にしたりしない
あなたは知ろうとする 自らの痛みの意味を
見えない手が白い霜を いつしか知らぬ間に
あなたのもとに 心が何も信じられなくなったとき

実はこれは、いろいろ調べる前に考えた訳詞。
この歌を「快楽」が歌っていると気付かず、オラトリオのストーリーも知らないままに訳したら、こんな感じになった。だから、若さとか年を取ることとかオラトリオのテーマなんだけど、そういう含意への配慮もない。
だから、かなり現代的だと思う。2行目も現代的な解釈を選んでいる。

今回、いろいろ調べるうちに、それではオラトリオのストーリーと合わないと分かった。
筋立てに沿った訳にしてみよう、、、

棘には触れずに バラを摘みなさい
探しても 見つかるのは苦しみばかり
見えない手が白い霜を いつしか知らぬ間に
あなたのもとに 心が夢みることを止める頃に

2行目を筋立てに沿って「快楽」が歌うのに似つかわしい感じに。合わせて4行目の表現も変えてみた。NAXOSの訳詞で使われている「expect」は「期待する」という意味なんだけど、かなり意訳してる。
「快楽」から「美」を奪う「悟り」はDisinganno = Disillusion、訳すと「幻滅」。ひどい訳語だけど、幻想を捨てるという意味。「快楽」は偽りを糧にして生きるキャラクターなので、幻想を捨ててはいけないんだね。「目に付くバラを摘んでいればいい、探そうとしても見つかるのは苦しみばかり。気付いたら霜で凍りついて(年取って白髪になって)夢みることもなくなっている」という感じかな。

なるほど、こんな辛気臭い歌はヒットしないだろうな。
たぶんヘンデルは惜しいと思ってリナルドで使ったのだろう。
しかし時代が変わって現代となっては、独立した歌として歌われるほうが一般的になっているようで、歌詞の解釈はオラトリオの筋立てに縛られなくなっている。もともと意味不明で多様な解釈を許すようなので、むしろ昔よりも時節を選ばずに歌われやすくなっていると思う。
こういうのは時の勝利なのだろうか。

いろいろと書いたけど、果たして実際に訳詞として成立してるかどうかが分からない。
そういう意味ではエントリーにしていいものかどうか迷ったんだけど、資料のメモとしてアップすることにした。
どこかに書いておかないと、ネット上のどこに何が書いてあったか忘れてしまう。これも時の勝利なのか、、、

Posted at 18:37 in audio_diary | WriteBacks (0) | Edit Tagged as:

Mar 20, 2019

歌声の録音について自分なりに考えた

前回のエントリーで、「日本のポップミュージック、特にボーカルの多くに、僕は違和感を覚えるようになった。生の人の声に聞こえないのだ」「マイクを通した声が、リビングルームのコンポから鳴るように録音されているのだとしたら」と書いた。
まあ、ずいぶんなことを書いたもんだと自分でも思う。
どうしようかと思ったけど、今の自分なりの考えを書いておく。本当は録音を実践して考察するのが筋なんだろうけど、そこまでは出来ていない。既存の音源をいくらか聴いて、頭の中で考えただけの話だ。
自分でもたわごとかもしれないと思う。

2020.05.13.追記。

現在、PPAP方式 768kHzで再生し始めて1か月ほどになるんだけど、1年前に感じていた違和感がなくなった。
違和感を感じていたはずの声が、違和感を感じ始める前よりもっと自然に耳に届いている。
ここに至って、ようやく気がついた。
あの違和感は、残存していたジッターが原因だったのだと思う。
録音のせいなどではなかった。録音が良くない音源もあるのはあるのだけど、それとこれとは別のことだ。

取り急ぎ、追記まで。
ここから下に書いていることは、なんだったんだろうと思うが、今の時点では分からないままだ。
分かったつもりにならないように気を付けないといけない、、、

2020.10.18.遅まきながら、更に追記。
ジッターの影響について確かめようとした試みについて記録。
検証できていると言い切れないけれど、関連エントリーということで記載しておく。

サンプリングパラメータによるジッターの影響の差異について
http://blown-lei.net/endive/blosxom.cgi/audio_diary/20200524a.htm
ジッター再々考
http://blown-lei.net/endive/blosxom.cgi/audio_diary/20200531a.htm

まず、違和感の原因について。
ボーカル録音は、マイクと口の距離によって随分音が変わるのだそうだ。
ライブで使われるのはダイナミックマイクが多くて、レコーディングで使うのはコンデンサー型が多いとのこと。コンデンサーマイクだと、だいたい20~30cmの間隔が一般的だという。ポップミュージックの場合はそういう録音で、それより距離が離れるとボーカルの訴求性というのか、そういうのが薄れるんだそうだ。でも50cmほどの距離で歌う歌手もいるそうだ。

考えてみたら、数10cmの距離で他者の歌声を聞くということは、現実生活の場面では、まずない。
たぶん、そんなことをしたらかなりうるさいんじゃないかな。
他人の生の歌声を聴く状況は、例えば誰かの誕生日で歌われるハッピーバースディを聞くとか。1m以上離れていることも多いだろう。

現実的な距離、と言っていいのか、離れた距離でボーカル録音された音源について考えてみる。

まず、オペラのライブ録音のようなケース。かなり離れたところから録音することになる。それでもリアルな音声に録音できるのは、そもそもオペラの歌は遠くから聴くものだからだ。オペラ歌手の体は楽器そのものだと思う。楽器を録音するように録音してもいいんじゃないかな。実際を知らないまま考えだけで書いてるから、見当違いかもしれないけど。
ポップミュージシャンの歌い方とは全く違うし、音声の聞かせ方も全く違う。録音で求められるリアリティも全く違うものになり、同列には語れないだろう。

では、例えば民族音楽の現地録音。離れたところから録音することがある。そうした場合は、空気感というのか、歌い手まで距離がある感じが録音されていて、再生音から普通に聴き取ることができる。
歌い方は、市販されているポップミュージックのボーカルと大きくは違わないものだと思う。しかし録音されている音声の聴え方は、かなり異なっている。
じゃあ、それが「リアル」なのかといえば、一概にそうとも言えない。
音声からの距離を感じると、聴くほうの気持ちはどこかクールになる。なぜか分からないけど、ポップミュージックを聴いたときに感じる「親密なリアルな感じ」は感じない。僕自身は、そういう民族音楽の録音の中にも「いい歌だなあ」と感じるようなものはあるんだけど、でも、一般的には「訴求性が低い」ということだと思う。

民族音楽のような音源は学術的な記録としての聴かれ方も重要なので、訴求性が低くくても許容されるし、ポップミュージックと歌声の聴こえ方が違っているのは、客観的になれるので、むしろ良い面もあるだろうと思う。

仮に、遠くに聞こえるような歌声の録音に、バック演奏を付け加えるとしたら、どんな録音だとしっくり来るだろうか。どんな演奏だとはまるのだろう。
それをポップミュージックとして売るとしたら。
たぶん、そうして生まれる音楽の音声は、僕らが慣れ親しんでいるポップミュージックとは全く違うものになるだろう。そして、たぶんだけど、相当売りにくいだろうと思う。
そこらのラジオでかかっても訴求性がある音では鳴らない。ラウドネス・ウォーとは全く無縁だろう。

訴求性のあるボーカルは、近くないといけない。
だから、マイクの傍で歌っている歌声を、離れたところにあるスピーカーから鳴らす。現在のポップミュージックでは歌声にエコーをかけたり歪ませたりすることもあって、そういうのも目的があって、効果を狙ってのことなのだ。
つまり、リアリティとバーチャルの線上で何処に落とし込むか、というのが、僕らが日常的に耳にするポップミュージックのボーカル、ということなのかと。
そのようにして制作された音源の歌声は、昔から広く受け入れられてきているし、むしろ一般的には、人間の生理にも合っているんだろうと思う。人間の生理に甘える形で音楽やオーディオのクオリティが下げられているとも言えるだろうけど。

でもその結果、僕なんかが、マイクを通したような声で違和感があると言ったりするのだ。
これはどういうことなのかとは思うけど。

洋楽で違和感を感じにくいと思ったのは、もしかしたら単に僕自身が英語のネイティブスピーカーに接する機会が少ないからに過ぎないのかもしれない、と今は思っている。つまり、ふだん聴き慣れない音声だったら違和感を感じないかもしれないということ。実際のところはよく分からない。

ポップミュージックに録音された歌声について「リアリティとバーチャルの線上にあるもの」だという認識にいたって以降は、いくらか違和感に振り回されるのは減っている。何がしかの納得が、僕の中で得られたということなのだろう。
ここにきて、音声に幾ばくかのバーチャル感がないと幻想の要素を含むポップには仕上がらないのだろう、という認識が生まれていて、音声のリアリティが強い音声は、より切実な内実の表現に向いている、というふうに思っていたりする。

それでも強い違和感を感じる音源というのはあって、そういうのは、やっぱり録音が良くないと感じる。
エコー感が必要以上に強すぎたり、ハスキーというにはざらついた感じが強すぎるような音声だったりで、欠落を何か過剰に付け加えて補おうとしている感じが強い。
今のシステムでは、そういうのが以前よりも明瞭になるように思う。

一方で、録音がいいというのか、違和感を感じない音源だと、思わず引き込まれるような声になる。歌い手の才能、生きている人の声が、ダイレクトに伝わる感じがする。
これらは、どうも若干遠くで歌ってるように聴こえる音源が多いような気がする。というか、適度な距離に聴こえるのだ。なんというのかな、握手しようと思ったらできそうな感触の歌声になる。

強くはなくても若干の違和感があるもの、つまり多くのポップミュージックの歌声は、今の僕のシステムではマイクに近すぎるように思う。
耳の傍で歌われている歌が、スピーカーの間から聴こえてくるような感じで、荒っぽく聴こえる。本来なら訴求性につながる筈であろう音の近さが、近くで聴こえるはずの音が遠くから聴こえてくるような違和感の原因になってしまっている。 こういうのは、以前には無かったのだ。

そういう感じなので、オペラなどのクラシック音源では、こうした違和感は生じていない。
以前は気持ちよく聴けていたポップ系の音源で生じている。
これは、、何とかしたいところだなー。

しかし、わけの分からないことばっかり書き付けていることよ、、、

Posted at 23:58 in audio_diary | WriteBacks (0) | Edit Tagged as: ,

Feb 22, 2019

アップサンプリングについて色々

最近はCDリッピング音源を705.6kHz32bitにアップサンプリングして聴いている。
以前は768kHzで聴いていたんだけど、ごくごく稀にクリックノイズが聞こえるような気がして(あくまで気がしてなんだけど)、精神衛生上の判断でそうしている。明らかにノイズが入るというのではないんだけど、、、
だから時々、768kHzに戻したりもする。
なんだか、768kHzのほうが705.6kHzより1割増し繊細な気がする。どうなんだろうね。

先日、mpdの設定を見ていて、libsamplerateはmpd 0.19.19のデフォルトリサンプラーであることを思い出した。libsamplerateがインストールされていれば、ビット深度とサンプリング周波数の設定をするだけで、libsamplerateで「SRC_SINC_FASTEST」の設定でアップサンプリングされるようだ。
そうだったんだなあ、、と見てるうちに、libsamplerateは「ZOH」「linear」といった設定も可能だったことに思い至った。正直、低品質ということで眼中になかったので、じっくり聴いたことがない。しかし、実際にはどんな音になるのか、確認しておくことには意味があると思ったので、ちょっと聴いてみた。

まあ、やっぱり良くないんだけど。
アップサンプリングなし(つまり44.1/16をそのままRME adi-2 DACで鳴らすということ)とZOH、Linear設定の700kHz台アップサンプリングを比べても、アップサンプリングなしの方がいいような気がする。ZOHよりは、linearの方が音がいい。というか、ZOHは刺々しいな。
試聴音源で詳細に比較してエントリーにしようかと思ってたんだけど、、なんか、めんどいな。

今回のエントリーはちょっともう、だらだらしている。
うちのやり方で十分、不満はないし、細かいこと言わなくていいじゃないかという感じ。

最近なんだか、アップサンプリングして聴くという手法が市民権を得つつあるような気がする。以前は、どちらかというと外道な手法というイメージで、正統なオーディオ再生ではないと一般的には認識されている、というふうに感じていた。それでも僕などは音がいいと思って、その手法を選択した。スーパーツィーターの接続に、世間では効果がないとされていたチャージカップルドネットワークを採用して使い続けているような人間だから仕方ないのである。
それが、風向きが変わってきている。

例えば、CHORDのCDトランスポート「Blu MkII」はアップサンプリングしてDACにつなぐ仕様になっている。
https://av.watch.impress.co.jp/docs/news/1041113.html
この機種が発売になったのが2017年、もう2年前のことだ。アップサンプリングしてDACに送るということは、バイナリ一致かどうかなんてもう気にしない、ということだ。僕は何でか、うっかりしたのか、もとからトロいのか、この機械がオーディオ界に及ぼす影響について気が付いていなかった。この頃から、たぶん、デジタルオーディオというものへの認識は変わって来たんじゃないかな。
バイナリ一致が金科玉条では無くなってきている。
MQAというフォーマットも、そうした認識の変化が受け入れられる土壌となっているのかな。

そもそもDACチップ自体がアップサンプリングして鳴らしているということも広く知られるようになってきていて、最近はこんなDACが売られている。
https://www.phileweb.com/interview/article/201902/12/634.html
CDの44.1kHzであっても、DSD1024まで引き上げて最高の音質で聴くというのがPro iDSDのコンセプトだという。Blu MkIIがやってることをトラポでやるかDACでやるかの違いというわけだ。

https://av.watch.impress.co.jp/docs/news/1167703.html
最近、「だれでもわかるハイレゾオーディオ」という本が出版されていて、電子出版で買ってちまちま斜め読みしているのだけど、ここではDACチップが行っているアップサンプリングをPCで代替しても構わないと書かれている。この本は「ハイレゾ」というより「DA変換そのもの」に関する数式苦手なオーディオファイル向け解説書なんだけど、かなり踏み込んだ記述がなされていて非常に面白い。というか、僕の興味の中心を射抜いている。すごく勉強になるし分かりやすい。「ZOH」「linear」についても書かれている。

アップサンプリングに日の目が当たること自体は別にいいのだけど、オーディオファイルの間だけではなく、世間一般でもアップサンプリングへの興味が高まっているようで、「アップサンプリング」でググるといろんなサイトがヒットする。ディープラーニングでアップサンプリングするというサイトがあったりして、それってもしかしてジョーク?とか思うんだけど、世間では案外、そういう感覚なんかもなあ、と複雑な心境になったりしている。

アップサンプリングと名が付くものなら何でもいいということになったら、将来的に僕自身が不利益を被るような気がする。例えば、libsamplerateはPCへの負担が大きいし上質なアップサンプリングだと言っても他と変わらないんなら、いらないね、ということになりはしないか。
もしも、libsamplerateがmpdで使えなくなったら。
SoXでいいじゃんと言われたら、うちはSoXで十分な音質を引き出すスキルがないんだよと言わざるをえない。libsamplerateならインストールさえしておけば後はmpdが勝手に良質なアップサンプリングをしてくれるので非常に助かるのだ。
PCトラポによるアップサンプリングは諦めて、Pro iDSDみたいなDACを買えばいいということになるのかもしれないけど、それはDACによるアップサンプリングの精度が重視されて今後は性能が上がっていくという事が前提になる。ZOHやlinearと同等のアップサンプリングでもいいということになれば、そういう安価で低い性能のDACチップが主流になるに決まっている。そうじゃない高性能DACは僕にとっては高嶺の花となるのだ。しゃれにならない。

そんなこと考えたりしてたら、MQAに否定的な話がアップされている。
記述を一部だけど引用してみる。

さよなら、MQA | | 言の葉の穴
https://kotonohanoana.com/archives/23587

まず、MQAはロッシー/非可逆圧縮である。

MQA音源はMQA化された時点で「大元のデータ」から変質しており、二度と元に戻らない。

MQA音源はMQA Limitedの掌の上でしか真価を発揮できない。

なるほど、、、僕は過去のエントリーでMQAへの期待を書いている。
非可逆圧縮ということについて、まず、データの同一性という意味では、アップサンプリング自体がDACチップがするにせよPCトラポでやるにせよ、バイナリ一致の音ではなくなるということだ。一般的なDACで音を聞くことは、バイナリ不一致な音を聞いているということに等しい。そういう意味で、僕みたいなCDデータを700kHz台なんかにアップサンプリングして聞いてるような者にとっては意味が無い、ということがある。非可逆であっても解凍されたデータに充分な情報量があれば問題にならないんじゃないかと思う。
次に、非可逆圧縮の「PCMであれば本来あったはずのデータが削られる」というイメージについては、MQAはAD変換からDA変換まで一連の情報処理であり、録音からPCMデータが作られる段階で、AD変換などで生じる歪みを排除する処理が行われる、と僕は理解している。つまり可逆か非可逆かと分けられるものではない。言ってみれば最初からMQAなわけだから。そういう理解。

非常にわかりやすいMQAの解説が1年半前にアップされていたのでメモで追記。

https://rideonmarin.blogspot.com/2017/10/mqa.html
コラム MQA技術解説についての私的メモ・ロスレスかロッシーか?

しかし、音質がどうなのかという一点。
引用。

Roon 1.6によって「TIDAL Masters/MQAとQobuz/ハイレゾFLACを聴き比べる」ことが可能になり、比較の結果として「MQA音源は同スペックのハイレゾ音源と比較すると音質が劣る」という私自身の結論を得た。

もしその比較が妥当なら、僕もMQAには期待できない、ということになるのかな、、、
うちではmpd + libsamplerateで700kHz台へのアップサンプリングがデフォルトだ。その音は、一般的に流通しているハイレゾ音源そのまま(つまり96kHzや192kHzをDACチップでアップサンプリング)の再生音を凌駕する。ということは、MQAの再生音も越えていると予想される。
実際には聴けていないというのが歯痒いけど、、、

比較の経過は下記アドレスのエントリーに書かれている。読んでみて思うのは、、、判断は実際に聴くまでは保留かな。
https://kotonohanoana.com/archives/23505

なんというか、うちでやってるmpdで700kHz台に上げるというのは、どうなんだろう。一般的な音質比較の対象としていいものかどうか。
MQAは176.4kHzとか96kHzで、MQA対応DACは、そこからどういうフィルタリングをするのだろうか。
上位の周波数にアップサンプリングするのかいな?
しないのなら、700kHzのほうが有利に決まっていると思うし、時間軸の正確性はどうなるのか、、、
使うDACによっても違うだろう。CHORDのDACとかPCM再生が得意なはずだけど、どうなんだろうね(僕はCHORDのDACは聴いたことがないのだ)、、、

最近、うちでオーディオを聴いていて気になるのは「録音」だ。
日本のポップミュージック、特にボーカルの多くに、僕は違和感を覚えるようになった。生の人の声に聞こえないのだ。洋楽だったらロックとかでも、まだ生の人の声に聞こえるのが多い。
とはいっても、そんなにたくさん聴いて確認したわけじゃないので、現時点での印象にすぎないのだけど。

これは何なんだろうと考えるうちに、日本のポップミュージックの録音は、生の声ではなく、コンサート会場のPAを通した歌声を再生しようとしてるんじゃないか、と思い付いた。いくらなんでもそんなことはないだろう、とは思うのだけど、、、でも、コンサート会場やカラオケルームでマイクを通した声が、リビングルームのコンポから鳴るように録音されているのだとしたら、「そうそう、そういう感じの音だよ」と納得がいくというか。
歌声が生の声として再生されるような録音になっていないと感じるのだ。若い人のJポップに限らない。ベテラン歌手の作品でもそういう音がするのが少なくない。必要ないエコー成分が多すぎたり、人の声はこんなガサ付き方しないだろという感じに聞こえたり。
日本のポップミュージックの特徴じゃないのか、と思う。そうした音が似合う音楽が作られているし、たぶん、そうした音楽を再生するのに適したコンポが作られている。

これは、一種の文化的なフィルターとして機能していると思う。
リアルな生の人の声が生きるポップミュージックは、日本ではほとんど作られていない。

僕は最近、リアルな人の声を聴きたいと感じる事が多くて、その結果、はまっているのがアメリカのフォークミュージックだ。ジョーンバエズとかピートシーガーとか、あのあたり。日本の音源で何かないかとなると、再生音に何か違和感を感じる。たぶん録音の、音の問題だと思うのだ。本当はこんな不自然な声じゃないはずだ、と感じることが多い。

現在流通してるハイレゾ、96kHz、192kHzといったレベルだと、そこまで気にならない、というか、気付かない。ラジオやテレビの人の声に違和感を感じないようなものかな。おそらくフォーマットによって違ってくるんだと思う。案外、アナログレコードがうけてるのは、この辺りに理由があるんじゃないかと思っている。受け皿に乗ってるデータが、相対的に上質なのだ。
PCMで700kHzまで上げると、何かしら、圧倒的な差が生じてしまう。まともな録音じゃないと、きびしいのだ。受け皿が大きい分、質の悪さも目立つというのかな。拡大鏡みたいなものなのかもしれない。良質な録音だと素晴らしいのだけど。

2020.05.13.追記。

現在、PPAP方式 768kHzで再生し始めて1か月ほどになるんだけど、1年前に感じていた違和感がなくなった。
違和感を感じていたはずの声が、違和感を感じ始める前よりもっと自然に耳に届いている。
ここに至って、ようやく気がついた。
あの違和感は、残存していたジッターが原因だったのだと思う。録音のせいなどではなかった。

しかし、検証しないといけない。
本当にジッターが原因なのか、どのような作用をしたのか、できれば確かめたい。

2020.10.18.遅まきながら追記。
できれば確かめたいと書いておいて、それっきりになってた。
実際のところ、検証できていると言い切れないけれど、関連エントリーということで記載しておく。

サンプリングパラメータによるジッターの影響の差異について
http://blown-lei.net/endive/blosxom.cgi/audio_diary/20200524a.htm
ジッター再々考
http://blown-lei.net/endive/blosxom.cgi/audio_diary/20200531a.htm

MQAは録音段階にも踏み込んだ処理を行う。そういう意味で、MQAには期待する部分があった。
しかし録音のクオリティは、MQAかどうかみたいなフォーマットの差異だけではカバーしきれない部分がむしろ大きいだろうと感じている。実際、昔から録音の善し悪しは千差万別だからね。

良質な録音にMQAの処理が加わると、さらなる音質向上が見込めないかと考えたり、MQAで700kHz台にとか将来的にはどうなのかと思ったりする。
しかし700kHz台のPCMは相当のクオリティで、上流再生レベルの受け皿としては、これでもう十分じゃないかと思わせるものがあるのだ。個人的感覚的な物言いで、実際どうなのか分からないけど。
受け皿が大きい分、録音自体がよいかどうか、丁寧に録られているかどうかがこれまで以上に重要になってくると思う。
録音に合わせた再生をどうするかも重要ということになるのかな、と思っている。

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Aug 12, 2018

USB電源用のDCノイズフィルターを作ってみた

7月は岡山も水害があり、仕事の同僚が被災したりして、どうにもブログを書くとかいう気分になれなかった。他にもいろいろあった。
でも、なんとなく最近になってぼちぼちでも再開しようかという気持ちになれたので、書いていこうと思う。

タイトルにあるように、USB電源用のノイズフィルターを自作してみた。
自作と言うのは恥ずかしいぐらいのもので、半田付けしたから自作、みたいな。例によってGNDと+をキャパシタで繋いだだけで、何Hzのノイズを狙ってとか考えもなく、あわよくば高周波を減らせたらいいや、手元にある部品を使って様子を見よう、で作ってしまったようなものである。うちにあるのはそんなのばっかりだ。

オスメスのusb端子はウェブ通販で購入。メス端子のほうに基盤がついていて、オス端子を半田付する。キャパシタは地元の部品屋で購入した0.027μF。
半田付の固定だけでは強度が心許無いので、写真の状態の後、ヒートガンで固めている。
うちのras piに使っているusb電源は、いくつか変遷した後、現在はELECOMのAVA-ACU01という小物になっている。白地に顔が付いたバージョンで、ゆるキャラ系だ。1個500円で売られていたものを複数まとめ買いして携帯の充電に使ったりしていたんだけど、試してみたら意外にいいんじゃないかな、ということでオーディオに使うようになったのだ。
いいといったって、オーディオ用の電源などは試してないので、ほんとうはiPowerとかのほうがいいんだろうなあ、などと思ってるんだけど、3つ買ったら2万円になるし、ちょっと手持ちの部品を試してみてから検討してもいいかな、ということで、やってみた。

結果は、意外にいいような。
音が滑らかになり奥行が出て、微かにまとわりついていたギラつきが消えて音色がより分かりやすくなった。
まだ改善の余地があったと比べて気付いた。
以前からときどき試聴に使っているエネスクのルーマニア狂詩曲2番とか、1年前よりもずっと聴きやすく美しく鳴るようになってきているんだけど、さらに気持ちよく鳴るようになった。

ロック音源の関係で驚いたことは、THe Whoの「Live at Leeds」を聴けるようになったということ。
聴けるってどういうことかというと、僕はこのCD音源を学生のころに購入して、あんまりにも音が悪いと思って聴き通せず中古屋に売った(他の物を買う元手にしないといけないので)という経緯があるのだ。ノイズっぽいし籠っていて精彩を欠くという再生音。ただ、当時のオーディオシステムはトータル数万円のシスコンで、スピーカーは16cm?フルレンジ?にプラスチック製で直径1cmのドームツイーターが付いていて、ツイーターの傍に耳を近づけても音が聞こえなかった。マイルスのトランペットとコルトレーンのサックスを聴き分けられないという代物だった。
しかしその後、これを持っていないというのはロックファンとしていかがなものかという気持ちに負けて、再購入したのである。その後、システムが変わっても良い音だと思ったことは全くなかったし、そもそもパッケージにノイズなんかは気にするなという旨のコメントが予め書かれているのである。最後まで聴き通した記憶が無い。

その音源が、あろうことかTAS Super LP Listに載っているのである。
http://www.theabsolutesound.com/articles/2018-tas-super-lp-list/

まあ、リマスターで再発のアナログ盤なので、初期CDとは別物だろうけど。
しかし、どこにか優秀録音の片鱗があるのかもしれない、聴いてみないといけないと思って聴いてみたら、なんと、意外に聴けるのだ。パチパチノイズが入っている(8794年のCDでリマスター前のものだ。リマスター後は消えている)けど、ロック演奏の生々しさは、確かに音源に記録されていて、最初から最後まで感動を持って聴き通せたのである。
リマスターCDはどうなのよと思って入手したらノイズが消えていて、初期CDより聴きやすくなっている。音が明るいというのかな。ただ何というのか、、、Live at Leedsってなんだか、ヘビーな初期CDのほうが自分には馴染む気がする。好みだろう。
しかしなるほど、名盤とされるだけのことはあるんだこれはと、ロック聴きだして35年でようやく理解するに至った。

TAS Super LP Listはアナログ音源なんだけど、CDでもいいかと思って最近は参考にしている。
ポピュラー系にはLive at Leedsのように意外な音源もアップされていて、どう料理するか考えろというリストなのかなこれは、と思うようになった。

そんなこんなで、電源アダプターのDCラインというのは対策しやすいのかな?と思って、fireface UCXのDC入力プラグに、上記のフィルターと似たような構造のアダプターを作って噛ませてみた。どうだったかというと、こっちは全く駄目で、再生音がこもり覇気がなくなってしまった。
ひとつ覚えではやはり無理みたいだ。
こっちのほうこそiPowerを使ったほうがいいのかな、、、

UCXの電源といえば、1年も前になるかもしれないけど、楽器店で電源アダプターを注文しようとしたことがある。楽器用のものを流用して音質アップを図ろうとしたのだ。受付でにこやかにどういったご要件でしょうか、と尋ねてくるお姉さんに、これこれの代替品の電源アダプターが欲しいんですがと切り出したところ、たちまちお姉さんの表情がかき曇った。そして、何を言われたかは全く覚えていないのだけど、対応できない理由について、なんでそんな顔して話す必要があるのかというような、苦虫をかみ潰したような、親の仇を見るかのような表情で話すのである。こちらは平静を装いながら、いや、難しいんならよろしいんです、、、と精一杯の応答を絞り出したのだった。
いったい、何があったんだろう。

オーディオで気になることは他にもいろいろとあるんだけど、まず、alsaがバージョンアップしてaplayで扱えるサンプリング周波数が上がったこと。

http://www.alsa-project.org/main/index.php/Detailed_changes_v1.1.5_v1.1.6

aplay: Adjust sample rate limits to support newer hardware
There are number of devices that support up to 384 kHz sampling rate and some devices up to 768 kHz sampling rate. This patch increases sanity check limit to 768k in order to support testing of such hardware.

しかし、まだpiCoreには移植されてないんだよね。自分でコンパイルも試みたけど難しい、、、
まあ、使えるようになるまで待とうかと。

これが使えるようになれば、384kHzとか768kHzにアップサンプリングしたPCM音源をPPAPで鳴らすことが出来るかもしれない。
768kHzが使えるDACがCHORDとかRMEから発売されている。
こういうのに入力したらどんな音が出るだろうと思うんだけど、、、
これらのDACは、MQAに対応していない。RMEとかサイトでMQAを推してるのに対応してない。
フィルターとかクロックとかで高度な技術を使っている分だけ、対応に時間がかかるというのはあるんだろうか。
どうしようかなと。

MQAは、誰も言わないみたいだけど、僕が勝手に考えてるのは、見当違いかもしれないけど、PCMよりもジッターの影響を受け難いのではないか、ということ。
つまりノイズ管理やクロック精度の重要性が低くなり、デジタルオーディオの一番厄介な部分の労力が減ることになり、かなり気楽に構えていても安定して良い音が得られるようになる、のではないかと、思ってるのだけど。
あちこちの説明を読むと、PCMには出来ないところに踏み込んだ技術のようだ。
過去のCD導入の時は音がいいと言われながら違ったし、ハイレゾも音がいいと言われながらそうなの?という感じだし、今回は、確かに音がいいと言われながら普及するといいなあと思っている。
でも僕自身、試聴機会がないので、なんとかならないかな、と思っている。

Dec 23, 2017

赤い鳥の音源について思ったこと

今回は音源の話。
「赤い鳥」というのは昭和の時代に活躍していたフォークグループ。「翼をください」を作ったグループだ。
翼をくださいという曲はエヴァンゲリオンで使われたり中二病のテーマソングみたいな扱いを最近はされているようだが、僕が子供の頃にはそれこそ学校でコーラスで歌ったりして、それなりに思い入れがある曲だったりする。
でも、そんな赤い鳥をなぜこんなところで取り上げるのか。
そもそもはアマゾンのレビューから始まったのだ。以下、引用。

赤い鳥 コンプリート・コレクション (2003/2/19 発売)
https://www.amazon.co.jp/dp/B00007KKZB/

この素晴らしい音楽の遺産を、しかし台無しにしているのがマスタリングです。ここではお名前を出すのは控えますが、大きく音楽性を損なってしまうほどのお粗末なマスタリングに心底ガッカリしています。
試しにLPを取り出し比較視聴してみましたが、テイクが違うかと思うほどに赤い鳥の音楽は歪められています。
ソニー・ミュージックには猛省を望み、これだけの音楽に関わるにふさわしいエンジニアによってマスタリングし、あらためて発売をしていただきたいものです。

ここまで貶していながら、具体的にどのような音なのかは全く記載がないのだ。
どうなってるんだろうと思うじゃない?

赤い鳥については、オリジナルアルバムの音源入手が困難となっている。
というか、mp3やaacだったらアマゾンやアップルミュージックで買える。
CD音源となるとオリジナルアルバムの多くは上記のようなボックスじゃないと売っていない。中古CDは高額になっている。ハイレゾはない。

翼をくださいを作ったグループは他にどんな音楽をやっていたんだろう、オリジナルアルバムを買えないかなと思って、アマゾンに行ってみたところ、へえ、コンプリートボックスってあるんだ、と思ってレビューを読んだら音が悪いと。
赤い鳥といえばハーモニーを聞かせるグループだと思うので、音質に問題があるとしたら分かった上で買わないと嫌だし、どうなってるのか確かめたい。そこで、いくつか中古でCD発売された時期を変えて買えば、音質傾向をつかめるんじゃないだろうか、と考えた。
そこで初めて、オリジナルアルバムCDが入手困難だと知ったわけだ。

そのくせ、やたらとベスト盤は出ている。
あと、青春の何たら、みたいなコンピレーション盤。たいてい、翼をくださいが入っている。
つまり赤い鳥は、当時流行った数曲しかニーズがないのだ。というか、ニーズがないとレコード会社に思われている。まあ実際、アマゾンのレビューを見たらオリジナルアルバムなんて欲しがる人はそんなにいないんだろうなと思うけど、、、
音質なんか気にする特種な人種はコンプリート・コレクションを買えということになるのかな。mp3で気に入ったらコンプリート・コレクションを買えということかな。CD12枚で定価15,000円だ。1枚千円強ならむしろ日本では安い方だ。
そういえば、アルファレコードなのでベストが多いのか?と思ったり、、、

こんなところで比べるのもなんだけど、ここ数年、海外ではCD5枚で2000円前後のボックスがあれこれと出ている。
ありがたいことに、僕はLou Reedのオリジナルアルバムをこれでほとんど揃えた。Lou Reedのオリジナルアルバムは廉価盤ボックスでほとんど揃うのだ。これがなかったら、敢えて揃えようと思わなかっただろう。数枚重複したが、1万円以下で20作品以上全部を揃えられると考えたら大した問題ではない。ベルベットアンダーグラウンド以降の彼の軌跡を辿る日々が続いていたある日、訃報が届いた。
廉価盤ボックスの作品群を聴いてなかったら、僕はどんな思いで彼の訃報に接していただろう。

他にも、初期のFleetwood Mac、Fairport ConventionとSandy Denny、Weather Report、Eyeless in Gaza、Lynyrd Skynyrd、etc、、、そういう音源がなかったら積極的に触れることはなかったと思われるものに、次々に触れることができた。ロックやポップスだけではなく、ジャズやクラシックも最近入手するのはボックスが多い。こっちも昔なら考えられないような値段で買える。置き場の問題もあるので、そうそう買ってばかりではいられないんだけど。
そういう廉価商法が必ずしも偉いとは言わないけど、音源入手が容易になるのはユーザーにとってはありがたい。最初のうちは音質を不安視してたのだけど(実際、怪しい音源も売られている)、案外、手を掛けずに詰め込まれた音源は下手なリマスターをしてないので逆に良かったりするので侮れない。

実は僕はこの5、6年、新しいポップミュージックにほとんど触れないまま過ごしてきている。これは、震災後の僕の気分があるのかもしれない。なにしろ、旧いものを漁ってばかりいる。安価なボックスはそれを助長したかもしれない。

日本でもオリジナルアルバムの詰め合わせを3000円ぐらいで出せばいいのにと思う。それでもニーズがないかな?

さて、そんなこんなで入手したCD音源は以下の通り。括弧内は発売年。

  • 竹田の子守唄 (2013)
  • GOLDEN☆BEST/赤い鳥 翼をください~竹田の子守唄 (2009)
  • 赤い鳥 (1998)
  • パーティー (1995)
  • 美しい星 (1995)

聴き比べたのは「翼をください」と他いくつかのベスト盤収録曲。
結論から言うと、20世紀の音源の方が音がいい。
2013年リリースの「竹田の子守唄」は音圧が高くて聴きづらくボーカルの繊細さは失われている。下記のソニーのサイトに行くと2013年リマスター音源と書いてある。
https://www.sonymusicshop.jp/m/item/itemShw.php?site=S&cd=MHCL000030033
まあ、この音源だったら、ハイレゾがあってもいらないな、mp3でいいかな。
赤い鳥 (1998)、パーティー、美しい星 (1995)は、聴きやすい音質だと思った。

GOLDEN☆BESTは、2013年リマスターよりは余程20世紀の音源に近い音源を使っている気がする。
収録曲「竹田の子守唄」だけ少し他と違うような気がしたんだけど、新しく追加された音源らしい。これはなんというか、2013年の音源の音圧を下げたような印象。でも20世紀音源の竹田の子守唄は聴けてないんだよね(音源の有無もはっきりしない)。
下記、ソニーのサイトの引用。

https://www.sonymusicshop.jp/m/item/itemShw.php?site=S&ima=0653&cd=MHCL000001571

※こちらは完全生産限定盤の通常商品です ※MHCL-127(2002/06/19 発売)に『竹田の子守唄 (アルバム・バージョン)』を収録し、『白い墓』未収録の新規編集盤

そこで、コンプリート・コレクションっていつリリースされたのかというと、2003年。
リマスターされてないとしたら、僕が新しい音源に比べたら音がいいと判断した20世紀の音源を、アマゾンのレビュアーは批判したことになる。

コンプリート・コレクションの音源は20世紀のものと同じなんだろうか。
もしかして、一番近いと思われるのは、2002年のGOLDEN☆BESTということになるのかな。同じソニーだし。

そんなこんなで追加入手したCD音源は以下の通り。括弧内は発売年。

  • 赤い鳥ゴールデン☆ベスト (2002)
  • Super Best of the Red Birds (1998)
  • CD選書 ベスト「翼をください」 (1995)
  • 赤い鳥 - ベストアルバム (1987)

聴き比べたのは「翼をください」だけなんだけど、やはり古い音源の方が音がいい。音色の響きがきれいで透明感がある。そのかわり音圧は低め。
98年のSuper Best of the Red Birdsでやや音圧が上がる。以降、音源が新しくなるにつれ少しずつざわざわした感触になっていく。2002年のゴールデン☆ベストになるとやや音色のテンションが上がり刺々しくなり、何か違うんじゃないかという印象を持つ。この音源は2009年のGOLDEN☆BESTと同等じゃないかと思う。
それを明らかに強く押し進めたのが2013年のリマスターオリジナル再発盤という感じ。

困った。ここまで違うとオリジナルアルバムが再発されても買う気になれないじゃないか。
というか圧縮音源でもいいってことかな。将来的にハイレゾで改善する期待も薄い印象だ。
コンプリート・コレクションの音質がゴールデン☆ベストと同等だとしたら、アマゾンのレビュアー氏の記述も、20世紀の音源から時系に沿って音質の変化を聴いたら納得させられるように思う。

赤い鳥に限らず、国内外問わず、リマスターが必ずしも音質改善につながらないという印象がある。
古い作品ばかり買っているからというのではないけど、最近の僕は20世紀にリリースされた中古CDを漁ることが増えてきた。音圧が高い最新リマスターよりも、安心できる音がする場合があるように思う(もちろん新しい音源の方がいい場合もあるだろうけど)。

おそらく、アナログマスターの状態が思わしくないような20世紀の作品は、ハイレゾファイルや新しいデジタルマスターを作るにあたっては20世紀のCDデータから作った方がいい場合もあるんじゃないだろうか。
もとのCD音源の音質とアップサンプリングの質に依存するとは思うけど、案外、素直な特性でハイレゾ化できる場合も多いと思うのだ。
ただそうなると、ユーザー側からハイレゾ音源として認められるかどうかという問題が出てくるだろうとは思うけど、だからといって、出自を曖昧にしたり誤魔化したりするようなことは絶対にして欲しくないとも思う。

赤い鳥のオリジナルアルバムの20世紀音源がリマスターなしに再発されたら買いたいけど、難しいだろうなあ、、、

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Jun 25, 2017

ハイレゾとアップサンプリング、384kHz周辺をいろいろと聴いてみた(7月2日、追記)

最近はCDリッピング音源をras pi2で24bit/384kHzにアップサンプリングしてi2sDACに出力して聴くことが多い。
情報量が多くなると同時に音色がまろやかで音場空間も広く、192kHzまでのアップサンプリングとは一線を画した音になる。
なぜこんな差が出るのかははっきりしない。
時間軸の情報量を増やすことが正確な再生に必要とは思うのだけど、DACチップの性格なのか、サンプリング周波数自体に意味があるのか。

以前から気になっていたのが、アップサンプリングした音とハイレゾファイルにどの程度の差があるのかということ。

CDリッピングファイルを、TASCAM Hi-Reso Editerで192/24化したファイルとメモリ再生で比較したことがある。このときは192/24化したファイルの方が音がいいという結果だった。その後、じゃあ良質なアップサンプリングを使えばCDリッピングファイルを192/24に近い音で聴けるんじゃないかと気付いて、以降はアップサンプリングして聴いている。
だけど、ハイレゾファイルの音とCD音源をアップサンプリングした音の比較は、できていないままだった。
今回はそれをやってみようということ。

音源に使うのは、以前にも使ったPierre Boulez the Complete Columbia Album Collection CD40、Bartok / The Wooden Prince の一曲目「Introduction」。
44.1/16と192/24のファイルを使う。
比較したのを以下に表にする。なんとなく適当に10段階評価してみた。

44.1/16 5点 
192/24 6点 
44.1/16を192/24にアップサンプリング 7点 
192/24を192/24にリサンプリング 7点 
44.1/16を384/24にアップサンプリング 8点 
192/24を384/24にアップサンプリング 7点(クリップノイズあり)

192/24のファイルはどうも、44.1/16を192/24にアップサンプリングしたのに及ばない感じ。しかも、192/24であってもlibsamplerateでリサンプリングした方がいいような。
ということは、Hi-Reso Editerによるアップサンプリングよりlibsamplerateによるほうがいいんだろうか。そもそもHi-Reso Editerがどのようなアルゴリズムでアップサンプリングしてるのか、よく分からないということがある。
あと、ファイルが大きくなるとアップサンプリングの負担が大きくなるようで、これは扱うデータ量が増えるので当たり前かも。

実は数か月前、mpd+libsamplerateの出力からハイレゾファイルを作ろうとしてHDDを飛ばすという惨事に至ったことがある。OSから再インストールして環境再構築は大変だしデータは無くすしで、それからは怖いのでやってないんだけど。
本当はファイル同士で比較した方がいいんだろうけど、できていない。

そんなこんなで、自作ニセレゾで比較するというのには限界があるのかと感じ始めた。
自分でもそれが適正な品質なのかどうかが分からない。
そこで、NAXOSから「天上のオルガン」と「天使のハープ」を買った。それぞれ300kHz台のハイレゾ音源と44.1/16のファイルが売られている。これなら自作のファイルよりも比較しやすいんじゃないだろうか。

というわけで比較の顛末。
まず、天上のオルガンを買った。
http://item.rakuten.co.jp/naxos/c/0000000941/
NAXOSの解説がこちら。
http://naxos.jp/digital/kogakki-organ

384/32と、44.1/16をlibsamplerateでアップサンプリングしたのを比較。
それが、どうも腑に落ちない。
具体的にはうまく言えないけど、なんだか音が違うような気がして単純に比較できない感じなのだ。音量はわずかに44.1/16のほうが大きい。
どうなってるんだろう?と思っていたら、下記の記事を見つけた。

「天上のオルガン」384kHz/32bitマスターを聴く - Phile-web
http://www.phileweb.com/news/audio/201403/14/14256.html

この記事によると、Pyramix(384kHz/32bit)とSequoia(192kHz/24bit)の2つで録音を行った、とある。もしかしてマスターが違うから音が違うということなのか?と思ったが、この記事内容からははっきりしない。
192kHzと44.1kHzを比べてみるべきかとも考えたけど、出来ていない。

7月2日追記。
192kHzと44.1kHzを聴き比べてみたけど、同じ音源だとして違和感が無い。
それだけをもって44.1kHzのマスターが192kHzで384kHzではないとは言えないとは思うけど、まあ、自分としては、そうじゃないかなということにしておこうと思う。

そこで天使のハープを買った。
http://item.rakuten.co.jp/naxos/nyzc-27266/
http://item.rakuten.co.jp/naxos/nyzc-27268/
NAXOSの解説がこちら。
http://naxos.jp/digital/koggaki-harp

352.8/32と、44.1/16をlibsamplerateでアップサンプリングしたのを比較。
こちらは、何だか違うという感じがない。音量は352.8/32のほうがむしろ大きく聞こえる。
これなら比較しても良さそうかな、と思えた。
結果はというと、44.1のアップサンプリングよりハイレゾ音源の方が繊細で耳あたりがいい鳴り方をする。アンプのボリュームが上がっていきやすい。ある意味、順当な結果になって良かった、という感じ。

2021.03.17. 今更だけど追記。

結果はというと、44.1のアップサンプリングよりハイレゾ音源の方が繊細で耳あたりがいい鳴り方をする。アンプのボリュームが上がっていきやすい。ある意味、順当な結果になって良かった、という感じ。

この文面を読み返すと、アップサンプリングよりハイレゾ音源の方がずっと良かったかのように読み取れる。
実際にはそうではなく僅差だった。通常の音量では差が聴き取れなかったので、大音量にしたら僅かにハイレゾのほうが耳あたりがいい、という感じだった。
当時の気持ちとしては、差がほとんどないという文言は書きにくく、上記のような文言になった。
訂正というのか、説明を書き加えておくことにする。

実際のところ、こんなので比較が出来たことになるのかな?という気持ちはあるんだけど、高音質マスターからのダウンサンプリングでファイルを作るというのは色々大変なのかもしれないというのはあって、違うんじゃないのかとかあんまり厳しいことは言っても詮ない話じゃないかという考えを最近は持っている。
だから、この辺で良しとしようと思う。

ここまで比較は、moode audio3.1 + i2sDAC によるもの。
現在、moode audioはバージョンアップして10ドル必要になっている。他にmpdでi2sから384kHz出力出来るようなRas pi用のディストリビューションはない。usbなら簡単に出せるのだけど。

そこで、usb出力での384kHzも試してみようかと思うようになった。
usb DACが要る。4千円のi2sDACと比較するんだから、あんまり高価なのはどうも、と思って下記の機種にした。

http://ifi-audio.jp/nanoidsdle.html
ifi nano iDSD LE、戦略価格モデルだそうだ。シンプルなusb DACで384kHzを受けることが出来る。
これとi2sDACを比較してみる。

音源は、44.1/16をlibsamplerateで384/24にアップサンプリングする。
デジタルトラポを何にするか。
もう手軽なのでいいやと思ってpiCore7にした。
piCoreはバージョンアップされててpiCore9がリリースされているんだけど、こっちには現時点ではtczにmpdもdoxygenも用意されていないので、手軽にmpdサーバ用途で使えるpiCoreは7だけだ。

これにiDSD LEをusbケーブルでつなぐ。
最初はまともに音が出なくて、ああ、これも駄目かと思ったが、数日後には普通に音が出るようになっていた。
どうも充電が出来てなかったからじゃないかと思う。

音の比較。 まずpiCore7にNASをマウントした場合。
僕などは過去の経験のせいで、これで普通に音が出るだけでも感心してしまうのだけど、不具合なく、そこそこ聴ける音が出る。
しかし音質はi2sDACのほうがいい。
Ras Piではusb出力が不利な上に、i2s出力自体の優位性があるのだろう。

次にpiCore7でメモリ再生する。NASはアンマウント。
これであっさりi2sDACの音を越える。
i2cDACでは僅かに再生音に滲みがあるが、iDSD LEの音にはそれがない。透明感が高く静謐で、音楽への命の宿り方が違うとまで感じる音がする。

やっぱりRas Piでusbならメモリ再生じゃないといけないんだな、とか思ったりしたけど、どうもこれがfireface UCX、メモリ再生で192kHzの音も越えているっぽい。少なくとも同等以上だと思う。
ここらは突っ込んで比較試聴を繰り返したわけじゃないし、比較するならするでいろんなファクターがあるので注意しないといけないとも思うので、はっきりとは言えない部分がある。

7月26日、追記。
少なくとも同等以上、とか書いたが「以上」ではないみたいだ。よくよく聴き比べないと判断が難しい。

しかし、こうなってくるとi2s出力を使いやすいからという理由でras piにこだわる理由がなくなってくる。
他のハードならもう少しましなのか?
いや、それでもメモリ再生が優位というのは変わらないだろうし、どうしようかなあ、というところだ。

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Mar 28, 2017

Fishmans がリマスターで再発されたので1stアルバムを聴いてみた(2017.09.05.追記あり)

今回は音源の話。
フィッシュマンズのデビューアルバム「Chappie, Don't Cry」は1991年にメディアレモラスからリリースされた。
当時、僕はこれを買ったのだけど、その価値にあまり気付いていなかった。オーディオ的には、むしろショボいと思っていた。
今にして思えば入手当時は、このCDのポテンシャルを引き出すに充分な再生環境ではなかった。
所謂ミニコンポで、スピーカーのセッティングの工夫とか何やら初歩的な細工をしながら聴いていたと思う。

その後、オーディオ環境は変遷し歳月は流れ、このCDの録音の良さに気付いたのは多分、2005年頃を過ぎてからのことだ。というのは「空中」「宇宙」というベスト盤がリリースされたちょうどその頃から、またフィッシュマンズを聴き始めていたから。
2005年頃には、現在のコンポに近い構成だ。上流がVRDS-25xsとOdeon-Liteでアンプとスピーカーは同じである。このサイトの過去記事を読み返してみたら、この頃にAirMacExpressを使ったPCオーディオも始めている。
そうこうする中で、何の気なしに聴いていて気がついたのだろうと思う。

この作品からは、J-Popらしからぬ生々しい音声が聴ける。
その音質は、少なくとも高音質の洋楽作品と同等レベル以上と思っている(ファンの欲目は、ないと思うけど、どうだろう)。
でも、このCDが高音質だという話は、僕は自分のサイトとamazonの僕のレビュー以外では見たことがない。どういうことだろうと思うことがあるんだけど。
おそらくは真価を引き出す再生が難しいのだ。
どんな音なのかというと、自然な録音だ。
高い声で歌う20代男性の生の声がありのままに聞こえてくる。曲によってはわずかにリバーブ処理がかかっているが、かけてないんじゃないかなという曲も多く、生々しい。楽器の音もそんな感じだ。

洋楽で高音質といえば、Walter Beckerの「Circus Money」が思い浮かぶんだけど、楽器や声の音声が、粒立ちがいいというのか、くっきりと聞こえてくる。21世紀の高音質という感じ。たぶんミニコンポでもそこそこしっかり鳴るように配慮されている。スタジオでの加工は前提だし、それがあってこその高音質という感じ。
対して「Chappie, Don't Cry」のレモラス盤はというと、ちょい聴きすっきりしない。粒立ちもいいようには聴こえない。くぐもって聞こえる。なにしろ最近のCDと比べると録音レベルが低いのだ。じゃあ音量を上げたらいいのかというと、たぶん再生能力が低いコンポでは大きな印象の変化はないだろう。
しかしコンポの性能が上がってきたら、前述したような生々しさが顕わになってくる。飾りがない、まさにそこで歌っているようなニュアンスの歌声が立ち現れてくる。極端な言い方になるけど、ポップミュージックのスタジオ録音なのにフィールドレコーディングした民謡のような佇まいの歌声だと思う。楽器の音もそんな感じだ。

昨年にリマスターされて再発になったと、遅まきながら知るに及ぶ。
以下、参考サイトのアドレス。

http://mora.jp/topics/interview/fishmans-hires/
フィッシュマンズハイレゾ化記念 リマスタリングエンジニアに訊く Posted on 2016年10月19日 mora.jp
http://ototoy.jp/feature/2016022400/1/
クラムボン、過去13作品DSD配信開始──名マスタリング・エンジニア、木村健太郎に訊く"良い音"とは OTOTOY

なんというか、エンジニア氏の悩みどころが垣間見れるインタビューだ。
あんまり音圧を上げると音が変わるけど、配慮せざるを得ない部分もある、、、
どうなったのか気になり始めた。
初期レモラス盤(とおそらく同等のポニーキャニオン盤)は今後なくなっていくだろうし、今後の流通は今回のリマスター音源が中心になっていくだろうから、、。

CDを購入して比較した。
僕の印象では、21世紀のスタジオから生まれた音になっている。エンジニア氏が言うように環境に左右されない、聴き手に届きやすい音になっていると思う。音圧は上がってるけど、それでも出来るだけオリジナルの音を生かそうとした結果が見えるように思う。うちのシステムでも強く、くっきりした音を聴くことが出来た。
その分、レモラス盤で聴くことが出来た生々しさは、ごく僅かに後退している。フィールドレコーディングの音からスタジオの音になったという感じ。つまり、J-Popらしからぬ生々しい音声から、J-Popとしてはかなり高音質な作品になった、と思う。一般的なオーディオシステムでも扱いやすいだろう。一番変化を感じる曲が「夏の思い出」。もともと全体的にぼんやりした音像(わざとだとおもうけど、あまりその意図が成功しているとは言い難い気が正直していた)だったのが、くっきりした。佐藤伸治の声もクリアに。これは、はっきりと聴きやすくなった。
この曲以外は、基本的に原曲の良さが生かされているリミックスだと感じた。

ハイレゾは、今回は買っていない。
いずれ買うとしたら後期のほうだろう。アルバム単位じゃなく曲単位からかな。
今回の「Chappie, Don't Cry」リマスターは僕は良かったと思った。

今更だけど追記。
ハイレゾ化でフィッシュマンズの音楽にもっと近づける - 茂木欣一がそのサウンドについて語る - Phile-web
http://www.phileweb.com/review/article/201611/30/2320.html

自分だけが高音質だと思う音源といって他に思い当たるのは、The Whoの「四重人格(Quadrophenia)」だ。

この作品、1985年にCD化されたんだけど、僕自身が入手したのはずっとあとのことだ。どこを探してもなかったからだ。
最初に入手したのはサントラのアナログ盤で、これじゃない感が漂うものだった。
ようやく入手した日本盤CDはしかし、聴いて「しょぼいなあ」と思った。納得がいかなくて輸入盤も買ったが同じ音でがっかりしたものだ。両方とも今だに所持しているけど。ちゃんとハイファイに鳴らしたら目眩くばかりの音像空間が広がると気付いたのは、これも今のアンプとスピーカーになってのことだ。スーパーツイーターを付けた頃じゃなかったかな。
このCDも、僕以外の人が音がいいといってるのを聞いたことがない。どういうことだろうかと思うことがある。

この作品は1996年リミックスされた。それが2011年にリマスターされたCDがデラックスエディションとしてリリースされて、僕はこれも入手している。
リミックスの時かららしいんだけど、ボーカルのロジャーダルトリーの声がかなり大きくなっている。楽器の音も全体的に強い音になって、要は小さいコンポでもロックっぽく鳴るようになった。
僕は「四重人格」というのは、嵐のような楽音の中で吹き飛ばされそうなほど小さいのに揺らがずに聴こえてくるジミーの声があってこそ、音楽世界が成り立つと感じている。そういう鳴り方を聴いていると、その世界にはまり込んでしまいそうな感じなのだ。初期CD音源をしっかりしたコンポで鳴らすとそんな鳴り方をする。

ジミーの声が大きくて、押しても引いても倒れないような聴こえ方をすると、これは世界が違うんじゃないかと感じてしまう。しかし、そういう音のほうが小さいコンポで聞いたときには盛り上がるんだろうと思う。
健気なジミーの声が聴こえたら感動するけど、聴こえないんじゃしょうがない。
実際、mp3にしてカーステレオで聴いたらデラックスエディションも悪くない。

参考サイトのアドレス。
http://www.e-onkyo.com/news/231/
GREAT3片寄明人の「ハイレゾ・コラム」 第5回 The Who 『四重人格』(後編)2014/11/21

9月、半年足らずだけど追記。
オーディオをいろいろ弄っているうちに、以前とは印象が変わったので。
Quadrophenia、今のシステムだと粗が見える、というか音像が分離しすぎるのだ。以前のシステムだと程よく有機的に溶け合っていた部分が分かれて聞こえる。いろんな音が個性を主張し暴れながらも音楽として溶け合っていたのが、編集で重ねた音像だということが見えやすくなったというのか、、、その分、音楽には入り込みにくくなった。ばらばらに聴こえて、聴いてて覚めちゃうのだ。
特別に音がいい録音というわけではない、ということに評価変更。
上手く再生できたら素晴らしいんだけど、システムのハイファイを突き詰めていくのにつれて良くなる音源ではいないんだろう。こいつを上手く鳴らすのは個人的課題なので、アプローチを変えて臨みたい。

ちなみにChappie, Don't Cry 1stプレスの評価は以前と同じ。
つうか、こっちは、より気持ちよく鳴るようになった。やっぱり音いいなあって感じ。

だらだら書いてきて、何が言いたいのか分からないけど、音源って難しいなと思う。
売るとなれば、再生環境に配慮しないわけにはいかない。
ハイファイ用ミックスとポータブル用ミックスの両方を売るとか、いっそ抱き合わせて売るとかしていいんじゃないかとか、とりとめなく考える。
音源が良くないとオーディオという趣味は成り立たないのだけど。

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Mar 05, 2007

47秒の音楽

のっけから追記。
47(ヨンナナ)スタート!!(mF247)
ここへのリンクがないといかん。
こっちのほうが分かりやすい。
引用。

「47」は、これまでの「着うた(R)」とは全く異なったもの。 いわゆる「着うた(R)」が、フルサイズが4分や5分の楽曲の一部分だけを抜き出したものに対して、 この「47」は、1曲で表現すべきことのすべてが、47秒に詰まっています。

そして、47秒で完結した曲は、間違いなく、とても密度の濃い、洗練された世界を持つことになります。

ブログで語られていることよりも分かりやすい。
着うたとは違う「作品」としての意味合いが強く打ち出されています。

僕の携帯では聴けなかった。
リンク。
着うたはCDシングルの後継 その1その2その3
着うた 47秒 その1その247(ヨンナナ)オープン!(丸山茂雄の音楽予報)

Aメロ、Bメロ、サビと来て、昨今はサビしか聴いちゃいないということらしい。
昨今の歌がつまらないのはそういうことらしい。
そんな御時世に合わせた音楽を47秒で提供してはいかがかと。
どこからどこまで本気で言ってるのか分からないのですが、商売としてスタートする。
引用。

私は音楽業界関係者ですから「音楽は良い音で聴いてほしいし、才能を投入した一曲をキチンと聴いてほしい」という立場ですが、ユーザーが「そんなのいやだ、メンドクサイ」と言ってますから、どうにもなりません。

僕は逆に「音楽は良い音で聴いてほしいし、才能を投入した一曲をキチンと聴いてほしい」という態度で作られた音楽が、めっきり減ってきていると思っています。
それは丸山氏も言ってることで。
でも、それを今更ユーザーのせいであるかのようにいわれてもな、というか。
子供時代に聴くポップミュージックであるJ-POPが、着うたで十分と思われるような聴き方を許すようなものだった結果、そういう顧客が大量に生まれたと考えます。
粗製濫造のツケが回ってきたということです。

ユーザーは「長い」「難しい」曲を扱いかねてメンドクサイから「サビ」だけ聴いて、曲全体を推し量るという極めて高度な技術を習得しちゃったらしいのです。(笑)

高度とはキツい皮肉ですね。
要するにサビ以外はつまらないと思い込んでるってことです。

もしかしたら丸山氏は、サビだけが提供される着うたというもののクオリティに納得がいかないのかも知れません。
サビだけ聴いて満足されては、ミュージシャンにとっては中途半端。
J-POPだから出来ること、なのかも知れませんが、ハンバーガーのパティだけ食べるようなもんでしょ?
美味いはずがない。
最初からハンバーグとして作ったものの方が、善いもの出来るよね、という。

47の着うたが他の切り刻まれた着うたよりも聞いてて気持ちいいってことになって、逆に従来のポップソングの有り様について省みられるようなことがあるなら、まあ、いいんじゃないかなとか。
つうか、mF247もアンチテーゼの商売だと思うから、今回もそういうことなんだろうか。

こういう話もある。
06年の有料音楽配信売り上げ、CDシングル抜く(ITmedia)
ネット音楽配信がCD店の売り上げ飲み込む(yomiuri online)
2006年第4四半期及び2006年年間有料音楽配信売上実績について(RIAJ)

Posted at 14:00 in NoCCCD | WriteBacks (0) | Edit Tagged as:
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