Mar 13, 2009

ミク歌と生身の歌

おひさです。
今回はミクCDがオリコン2位につけたということで記念で今更書いてみようというわけだ。
しかも、早く寝ないといけないから30分で1本書き上げようという挑戦だ(むりぽ。
少々アルコールも入ってる。
ではゴー。

渋谷センター街に「メルト」が - what's my scene? ver.7.2

オリコンのアルバム・デイリーチャートで初登場2位だったらしい。週間チャートでどこまでいくのかは謎だけど、良くも悪くも、色々と考えさせられる事態なのかもしれない…。

そう、大変なことですよ。
一方で、生身のミュージシャンの歌はなかなか売れないらしい。でもチャットモンチー1位じゃん、がんばってるじゃん。
僕はそれでもCDを買い続けている人間だと思うけど、昔ほど歌に思い入れることがなくなった。
にもかかわらず、実はミク歌の歌詞は検索して調べて、iTunesにつっこんだ各々の曲に貼付けている。

ミク歌の歌詞はいいよ。
言いたいことがストレートなのがストリートミュージックらしくていい。
ネットはストリートだから、そこで歌われる歌はパンク的なんですね。
商業音楽のような、もってまわったような、売らんかなというような、耳障りが良ければいいみたいな、あざとい感じがなくて。
ミュージシャンのワークシェアリングのような、なんでいっしょにやってんのというようなコラボもないし。まあ、不景気だからワークシェアリングを責めはしないよ。でも音楽的必然がないっつうの。ホントにお前等今それ歌いたいのかという。
そんなこと商業音楽に言っても仕方ないけど。

さっきamazonのCDランキングを見たが、本当に唖然とした

何であれがいいと思うの? なんであれのCD買うの? 本当に分からない。あれ機械じゃん。機械の声だよ?

この人、反省してたりするんだけど、僕は気にしないよ。
いいたいことは分かる気はするよ、ひどい言い方してるのはマズかったと思うけど。
機械の歌に感動できるか、と。自然な感覚だよ。

そういう疑問は僕にもある。
ただ、僕の場合は逆に、何で機械の歌に感動してしまうんだろう、という。
人の歌に、感情移入しにくくなったのは、なぜなのか。

前から考えていたよ。
僕の答えはいつも独断的で支離滅裂で偏ってる。僕向けの答えだからしかたないや。

例えば、こんなことがあるわけで。
無断配信コンテンツのダウンロードは違法に - 著作権法改正案を閣議決定 | ネット | マイコミジャーナル
違法「着うた」入手も規制 著作権法改正を閣議決定 - 47NEWS(よんななニュース)

なんだそれは?
要するに、ユーザーの声とかそういうものは国政に反映されないと。
だったら、僕らが声を挙げるイミは何なんだい?
僕らの肉声に、何の意味があるんだい?

日々、仕事を失う人たちの声はどこに行くのか。
結婚したくても出来ない人たちの声はどこに行くのか。
子供を生み育てたくても、不安で生めない人の声はどこに行くのか。
一生懸命仕事してるのにささやかな願いも満たせない人の声はどこに行くのか。

こんな、世の中の片隅のあちこちで起きる出来事。

そんな声にイミなんかない、と、この国は言っている。
お前等の声なんか一分たりとも聞く気はないから、とこの国は言っている。
役人が損しないようにするのが国益だと、この国は言っている。
それを誰も切り崩せない。
世の中なんてそういうもんだよと、世の中は黙って言っている。

ボーカロイドの声、機械の声が、僕らのリアリティを体現するのは当たり前だ。
僕らの肉声には何のイミもない。僕らの声には何の力もない。
そんな声で歌われる歌に誰が感動するものか。
歌うことしか出来ない、現実にコミットできない初音ミクの歌だからこそ、僕の心に届く。
悲しいことに。

だから、他人の肉声の歌に価値はない。
僕らは、自分の肉声を自分の手で握りしめておくだけでも精一杯だ。
この国は、この社会は、僕の肉声なんかあってもなくてもどうでもいいというから。
そんなときに、自分と関係ない他人の肉声なんかに、感動してる暇なんかないんだよ。

ミクの歌は違う。
作者がそこに込めたものは、他人の声ではない、聞き手自らの声と同等のものとして共有される。
それは多分、ボーカロイドだからこそ出来る。
共有されることが前提で、同時に、全く押し付けがましくない、心がこもった歌。

YouTube - 【初音ミク】 サラリーマンのうた 【オリジナル曲】
YouTube - 【初音ミク】僻地医療崩壊を歌う
こんな歌、CDで売れないよ。
でも、よっぽど僕らにとってリアルな、肉声に近い歌じゃないのかな。
ほとんど、叫びに近いんじゃないかな。
ミク歌はなんでもありだ。
人が肉声で歌うと、悲しくなるばかりの歌が、ミクが歌うとすんなりなじむ。笑って皆に共有される。
意外にミク歌には、そういう懐の深さがある。

えーと、問題は、

肉声はリアリティを持つのか。

人間のボーカリストは、何を歌えばいいのか。

最近数年間の音楽業界、売り出されてるのは企画ものや奇をてらったものがすごく多い。そういうものが売れていて求められているのは、お祭り騒ぎを求める人が多かったということだ。別にそういうのが悪いとは言わないけど、シリアスな歌は、求められていないということだ。
その一方、一昨年だったか、一番売れた歌は死者からのメッセージソングだ。
9.11と関係があるらしいけど、何で日本で売れるのか僕的には謎だ。
生きてる人の歌をききたい人は減っているというのに。
死んでる人の歌は聴きたいのか。
生きてる人が歌いたいこともないということか。

でも、生きてる人のかわりにミクが歌っている。
歌いたいことがある生きてる人の依り代として。
そういえばミク歌にも死者からの歌がある。僕は、そっちのほうが好きだ。コミカルだけど泣ける歌だ。

ミクのムーブメントには「ミク歌を歌ってみる」というのがある。
逆転の発想だ。ミク歌によって肉声がリアリティを得られるなんて。
すごく簡単なこと。
みんなのうたを、みんなで歌おうよってこと。
ほんとうは、ミク歌でなくてもいいはずだけど、今のみんなのうたはミク歌だから、それを歌えば、そこに僕らの肉声のリアリティが宿る。

死者からのメッセージソングは、たくさんの人が歌ったりしてるらしい。
でも、あれは僕が歌いたい歌じゃない。
ミク歌の方が、よっぽど僕にとっては身近で、琴線に触れる音楽だ。

ミク歌をカバーして歌うミュージシャンが出てきたら、面白いだろうなと思う。
つうか既にネット上には、マイナーな(失礼)ミュージシャンがミク歌を歌ってるのがアップされている。
そういえば、桜の雨を歌うプロジェクトもあったっけ。あれはミュージシャンが関わっている。

何年か前までは、音楽は音楽出版社がCDで供給していた。音楽ファンは好きなミュージシャンのもとに集い、CDやグッズを買ったりライブに出かけた。それが、音楽がみんなのうたになる過程だった。
それが、ちょっと変わってきつつあるってだけの話。

大事なのは「人が歌うCDが売れるかどうか」とか「ミク歌CDを買うかどうか」ではない。
「僕らがリアリティを感じられる歌があるかどうか」ってことだ。
それがミク歌だということもありだと思う。
なにげに名曲が多いし、自由な雰囲気が心地いい。

想像だけで根拠はないけど、今ほど、個人が自信を失ってる時代は、ないんじゃないかと思う。
それは社会情勢によるもので、今の日本の音楽シーンはそれを反映しているのだろう。
こんな時代だからこそ、リアリティを感じる肉声のボーカルを聴きたいと思う。
なかなか、難しいとは思うけど。
ミク歌が元気なばっかりじゃ寂しいような気がする。
ミク歌、好きだけどね。

30分で書くつもりが3時間経った。酔いはすっかり醒めたけど眠い。
おやすみなさい。

(そして日があけてからアップロード。ねむい、、、)

Posted at 10:00 in NoCCCD | WriteBacks (0) | Edit Tagged as: